見出し画像

君ならどうするか、が問われまくる映画。

ザ・スクエア 思いやりの聖域

この映画で、タイトルにもなっている、アート作品「スクエア」は実はそこまで意味を成さない(と私は感じた)。

要は、前衛的な(この言葉が相応しいかどうかも少し考え込む)現代美術館のチーフキュレーター、クリスティアンの周りで起きた出来事の数々が、お前ならどうする? 何が正しいのか? そうでないのか?を突きつけてくるストーリーで、それらが「スクエア」にそのような類いの象徴として、集約されているのかもしれない。

現代アート美術館のキュレーターとして周囲から尊敬を集めるクリスティアンは、離婚歴があるものの2人の娘の良き父親で、電気自動車に乗り、慈善活動を支援している。彼が次に手がける展示「ザ・スクエア」は、通りかかる人々を利他主義へと導くインスタレーションで、他人を思いやる人間としての役割を訴えかけるものだ。そんなある日、携帯電話と財布を盗まれたクリスティアンは、その犯人に対して取った愚かな行動によって予想外の状況に陥ってしまう。(映画.comより転記)

何とも言えない気持ちになる。後味がいいかというと、全く! 甘さや辛さより、ほろ苦さを感じる感覚、かね。

思いやり、信頼、偏見、思い込み、それらって何で成り立ってるんだろう。

とか考えるんだけど、一つの問いに対して、一つの答えを見つけていくんではなくて、あらゆる問いを自分たちで掘り起こしていく感じ。そして最後の最後までモッタリした終わり方。でもそれでいいのかも。

不思議と退屈ではないし、どうやって終わるんだろうと、時折ハラハラしながら、その行方を追いつつ終焉を迎えた感じ。そして、また不思議とメインキャラのクリスティアンが嫌いじゃない。なんだろね。

人は無意識に、よく思われたいだとか、こうすれば「正しい」よね? ということを日常的に選択して生きている。それは、自分の頭の中で、瞬時に判断することもあれば、ある程度、他人に委ねながら選択することもある。その連続で、私たち一人ひとりが成り立っている。それをあらゆるシーンで見せつけられる。

この主人公のクリスティアンもそう。彼はどっちかというと、それらがスマートにできると自分では思っていた部類。でも、その歯車が、意図せず突然一つ欠けてしまったら。こんなにもうまくいかないものなのかと。

クリスティアンが一晩の関係になるアンとのコンドームのやりとりがある。使用済みのコンドームをどう処分するかを二人が揉める。クリスティアンの頭には不安がよぎる。もし、自分のそれが、アンに万が一 "使われて" しまったら。
見ている者は戸惑いしかない。アンが100%使わないとは思えないから。彼女の言動だと。で、そこに(彼女の部屋に)なぜか居るメスのチンパンジー…。

不意を突かれるシーンの連続だし、でもどこかで似たような経験をしたことあるよね、いやでも特殊すぎだろ、自分ならどうするか?

ずーーっとそんなことばかり考えながら、見続けていかなきゃいけない。そして、どうしたわけか私はこのクリスティアンにずっと同情しながら見ていた。彼に一切の悪意はなくて、無自覚に、自分を貶めているような、誰かに陥れられているような、そんな気持ちになって…。

もしかしたら、自分が、クリスティアンのようになる可能性もあるかもしれないから。

レビューを書いていても、うまく収束させられないなと思っている。このシーンについても書きたい、あれは一体何だったんだろう、という出来事だらけで。でも、そんな世界で、私たちは皆生きてるんだなって思わせられたよ。

今度見るときは、クリスティアンが財布とスマホをスラれているところをしっかりと見届けたいと思います!

2018年46本目。シネリーブル梅田にて鑑賞。

#映画 #cinema #シネマ #レビュー #感想 #ザスクエア #スクエア #カンヌ映画祭 #パルムドール #ルーベンオストルンド #note映画部 #コンテンツ会議

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?