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詩 資本主義のアダムとイブと宇宙的な自我と集中と宙遊とその可能性

資本主義社会のアダムとイブは
はだかのまま生きている。
極端から、極端へ
西から東へ
南から北へ
あるいは、球上の球状に、
あらゆる方向性の可能性に
出現する偶然性の海の中で
たよりない、船をだし、それを漕ぐ
あてどのない旅に出る
瑠璃色の浄土は、何処にあるのは
あるいは、天上界の天使の涙が
ひとつてのひらに落ちるスピードで
宇宙の琥珀のかがやきで
ひらりと、ちょうが舞い落ちる
仮に、天上世界の存在が
アガルタの地獄鬼畜にあったとしても
それでも生きるのが
人間だ
ミサイルが飛んできても
享楽に生きても
そうでなくても
終焉の日は、だれにでも
平等に
おとずれるから
今日は
静かに
コーヒーや
ハーブティーでも
くゆらせながら
永久と久遠の浄土を
鏡合わせの無限の世界を
そんなラビリンスに
いきませんか

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