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ファンタジー短歌の方法①心象の発生段階


先日の課題の続き

先日書いた記事の課題(3)について検討を進めます。課題(3)は「短歌だけで新たなファンタジーの世界観が創れるか」でした。

いきなり世界観の構築をテーマにすると扱う内容が大きすぎるため、いくつかの段階を踏んで検討します。まずは短歌の表現が読者の心象(頭の中のイメージ)の発生段階で、どのような影響を与えるかを考えます。

本記事を要約すると、ファンタジー短歌を作る際には、一首における語彙レベル、レトリックレベル、歌全体の情報レベルは考慮しましょうねという話になります。前回の記事が未読の方は以下リンクからご一読ください。

前提:読みの外部要因と内部要因

当然のことなのですが、忘れられがちな前提から共有です。短歌は読者によって読みの前提が異なります。それは読者が短歌を受け取る際の「外部要因」と、読者が作品を解釈する際に影響する「内部要因」が各人で異なるからです。

この点はファンタジー短歌と直接的には関係ないので別記事でまとめています。抑えておきたいポイントとしては以下の点です。

■外部要因
①読者が意識的に除かない場合、時代、掲載媒体、作者の情報等のテキスト外部の要因が読みに反映される

■内部要因
①読者は過去の経験を用いて短歌を解釈しようとする
②読者は原則、短歌を一人称かつ現実ベースで読み取ろうとする

※要因の境界設定ができない事項もありますが本記事では割愛。

ファンタジー短歌を含め幻想的、抽象的な作品は、現実ベースの作品に比べて強くこの2つの要因を考慮する必要があり、作者のコストが大きくなりがちです。

前置きが長くなりましたが、読者が解釈をする最初の段階、心象の発生段階の考察を進めます。特に内部要因の点に注意して検討します。

読者の心象と読み取りエラー

短歌がわかるとか、わからないとかの話がよくあります。わからないと感じるのは、何らかの理由で読者が読み取りの段階でエラーを起こしていることが原因です。

特に、ファンタジー短歌ではフィクションの世界を描写するため、語彙のレベルから描写内容のレベルまで、いたるところに読者に読み取りエラーを発生させるポイントがあります。作者が読者の心象をまったく考慮していない場合、何も伝わらない恐れすらあります。

一首の短歌で読み取りエラーが発生するケースは大きく分けると以下になります。

①一部の単語の意味を知らない
②単語の意味はわかるが、文章の意味がわからない
③文章の意味はわかるが、歌に乗れない

①一部の単語の意味を知らない

①は読者が自分で単語を調べようねが結論ですが、読者が単語の意味を理解できず、初読で作品に没入できないリスクは検討すべきです。最悪の場合、単語が読者を選別します。

一首全体で意味を理解していなくても感情やメッセージが伝わることはありますが、語彙レベルでのわからなさは解釈の手段がないためにどうにもならないです。

例えば次のような伝説に基づいた単語を使った歌ではどうでしょうか?

セントジョージの槍輝けばひとすぢの水けむりたつふかき藍青

井辻朱美『地球追放』

「聖ジョージ」はキリスト教の聖人の一人で、竜殺しの伝説が残っています。連作の流れからすると、作品の主体は水辺(おそらく海)にいて、藍青色の空に輝く太陽と、竜を突き殺す強力な槍による輝きのイメージを重ね、水煙をみている歌かと思います。

「聖ジョージ」の語と自身の記憶にリンクがない読者は何の槍なのかわからず、背景にある伝説の雰囲気を感じることもないでしょう。

では、神話モチーフの「天使」が入った短歌ではどうでしょうか?

ごみ箱に天使がまるごと捨ててありはねとからだを分別している

吉岡太朗『ひだりききの機械』

「天使」なら特に補足なく理解できる読者が増えます。歌の中の天使には肉体があり、神の使徒として冷酷に罪人を焼くような役割は消えています。商業化によって広まった天使像を使い、ゴミとして捨てられる描写をすることで意外性を出しています。

イメージがある程度、共通了解に達していると、読者が名詞を知っている前提で、ずらして使うこともできるようになります。基本的に自分が使いたい語を使えばよいですが、文体を作る上では語彙レベルの統一や工夫は必須ではないでしょうか。

②単語の意味はわかるが、文章の意味がわからない

②は意味が飛躍する表現や、イメージを異化するようなレトリックを使う表現で発生しやすいです。理解が難しい表現が必ずしも悪いとは限らず、逆に意味があまりにも明白すぎることも必ずしも良いとは限らないです。ここは作者のさじ加減によります。

解釈に時間がかかるような表現は、わせたん(早稲田短歌会)の用語でいうところの、「歌の「カロリー」を上げる」要素となります。「カロリー」は悪く言えば、読者が短歌を解釈する際の負担、よく言えば歌の栄養であり解釈をする余地を広げ、面白さを増す要素です。

ファンタジージャンルの語を含まない歌のほうがこの点は理解しやすいので、以下の大森静佳の歌で見ていきます。

冬の駅ひとりになれば耳の奥に硝子の駒を置く場所がある

大森静佳『てのひらを燃やす』

冬の駅でひとりになった寂しげな場面です。主体の感情を明記せず、「硝子駒」のイメージをもってくることで、寂しい等と明記するよりも質感をもった描写をしています。「硝子駒を置く場所」の表現で、現実の場所と「置く場所」の二重に場所を出現させる表現がこの歌の「カロリー」になっています。

ファンタジー短歌の場合を考えると、「カロリー」を上げることで読者の負担が上がり、没入感を減らす恐れがあります。上記の大森作品では、現実世界に入ってから異化の流れになり、驚くポイントがわかりやすく負担が少ないです。ファンタジー短歌でははじめから異化された空間や世界観の描写を行うため、そこへさらに異化をすると読者の負担が大きくなりやすいです。

③文章の意味はわかるが、歌に乗れない

「歌に乗れる」とは、その作品に共感する、納得する、驚くといった歌が読者に迫って感じるような場合の反応であると考えます。「乗れない」場合の理由は個々の読者の経験や感覚に大きく依存し、その具体的な要因は多種多様であるため、ここでは全てについて深く議論することは困難です。

ただ、ファンタジー短歌でも重要と思われる短歌の読みの「モード」について触れておきます。読みのモードがわからない場合、歌に乗ることはできません。

穂村弘(2011)が『短歌の友人』で挙げている次の短歌を例に、「歌に乗る」ための「読みのモード」を明らかにしましょう。

この星の丸みで背中を伸ばすのよ 気持ちまで気持ちまみれの熊も/創作

穂村弘『短歌の友人』

こちらはある歌会で出された歌で、特に詞書があるわけでもないのに、参加者が作中の熊を現実世界の熊ではなく、アニメーション的な熊として扱ったと言います。理由は非現実的な「星の丸みで背中を伸ばす」行為と、「気持ちまみれの熊」という擬人化された表現が現実の読みから遠ざけるからのようです。この一首を読む際のモード(解釈の方針)は読者が無意識のうちに変わってしまっています。

ファンタジー短歌でも読者に違和感なくフィクションのモードに入って読んでもらえるような表現が必要と考えます。例えば、井辻朱美の『水族』からの次の一節を見てみましょう

世界樹の繁りゆく見ゆ さんさんと太陽風吹く死後の地球に

井辻朱美『水族』

井辻作品のようにフィクションであるとわかりやすい表現をしながら読ませつつ、ファンタジーのアトモスフィア(雰囲気)を伝えるような表現です。

一首だけで読者の読みのモードを決定するのは至難の業なので、核となる歌で作品の読みを方向づけ、連作全体で世界観をつくっていくのが一番現実的な方法かと思います。

まとめ

読み取りエラーの話をしましたが、作者の意図が読者に100%伝わる必要はないですし、読者が作者の意図を超える読み取りをしてくれる時もあります。少なくとも世界観構築のためには今回の記事の点に注意して、読み取りが0%になるケースや、読み取りがエラーするケースは排除すべきだと思います。

基礎的な話が多いですが、土台がないと上に何も建てられないのでしばらくお付き合いください。世界観構築と没入感が今後のメインテーマになり、最終的には連作全体のレベルでの構想が鍵となる見込みです。引き続き研究をつづけます。

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今回の参考文献

・井辻朱美『地球追放』(沖積舎) 1982
・ 〃   『水族』(沖積舎) 1986
・大森静佳『てのひらを燃やす』2018
・岡井隆『現代短歌入門』(講談社)1997
・穂村弘『短歌の友人』(河出書房新社)2011
・吉岡太朗『ひだりききの機械』(短歌研究社)2014

次に読んでほしい記事

次の記事ではファンタジー短歌で使えるレトリック(修辞)を検討します。


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