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価値観を揺さぶられた記憶…「心に残った教科書作品」

「心に残った教科書作品」というタグを見かけました。

私にとって心に残る作品って何だろうかと考えてみたら、あれこれ思い出したことがあります。

感動した、というのとは違いますが、授業で出会った教科書の一節に、自分の何かが問われたような気がして、思わずびくっとした瞬間が何回かあったのを思い出しました。その中で今でも、その感触が鮮明に残っている2つの作品があります。

巧言令色

中学校の時に論語を勉強した時のことです。有名な「学びて時に…」とか「己の欲せざるところは人に施すことなかれ」といった以前から耳にしたことがあるような言葉のルーツが論語にあると知って、とても興味を持ちました。人生訓とか哲学といったものにはじめて触れた新鮮な感動がありました。もっと論語の他の言葉を読んでみたいな、などと思いました。

教科書の『論語』の学習で最後に出てきたのは「巧言令色鮮し仁」です。これは、「言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である仁の心が欠けているものだ」という教えです。先生が説明するのを聞きながら、私は考え込んでいました。ちょうど友達との関係や人との付き合い方などについて考え込む年頃だったこともあってか、自分が友達から好かれようとおもねるような態度や言葉を使っていたのではないか、それを「巧言令色」というのではないかと思ったのです。

ちょうどその頃流行っていた歌の歌詞に「言葉にすれば嘘に染まる…」という印象的なフレーズがありました。毎週の歌番組のトップにランクインしていた曲だったので耳に残っています。その言葉と「巧言令色…」が重なりました。それからしばらく、言葉ということについてデリケートに考えすぎる時期が続いた気がします。

怒について

これは高校の現代文の教科書で勉強したものだと思うのですが、読みながら肩がびくっと震えるような衝撃を感じたのを覚えています。

私は「怒り」という感情について負のイメージが強く、避けなければならないものだと思っていました。それなのに、著者は怒りを知る人がよいと言っているのです。今までの価値観を大きく揺さぶられました。

今になると出典も著者もわからなくて、気になったので調べてみました。哲学分野の内容だったのでその辺りを検索してみると、三木清の『人生論ノート』の中にある「怒について」が、どうも当時の記憶に近い気がします。青空文庫で読むことができました。

今日、愛については誰も語つてゐる。誰が怒について眞劍に語らうとするのであるか。怒の意味を忘れてただ愛についてのみ語るといふことは今日の人間が無性格であるといふことのしるしである。
 切に義人を思ふ。義人とは何か、――怒ることを知れる者である。
 怒はただ避くべきものであるかのやうに考へられてゐる。しかしながら、もし何物かがあらゆる場合に避くべきであるとすれば、それは憎みであつて怒ではない。
怒はより深いものである。怒は憎みの直接の原因となることができるのに反し、憎みはただ附帶的にしか怒の原因となることができぬ

怒りと憎しみは違う、確かにそうだということがわかります。人には怒らなければならない時があるのだということは、大人になって社会の様々な事象に目が向くようになってからわかるようになりました。そう考えると、この言葉から受けた衝撃は、自己の中で閉じていた状況に気づいた瞬間だったのかもしれません。もちろんこれは今だからこそ気がついたことで、当時はそんな思いには至りませんでした。

教科書で出会った作品を思い出すことで、その当時の自分がどんな成長過程にいたのか気づいておもしろかったです。

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