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映画「フェアウェル」

せっかく仕事が休みなので、映画を観に行ってきた。

観てきたのはこちら→映画「フェアウェル」公式サイト http://farewell-movie.com/

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NYに暮らすビリーと家族は、ガンで余命3ヵ月と宣告された祖母ナイナイに最後に会うために中国へ帰郷する。家族は、病のことを本人に悟られないように、集まる口実として、いとこの結婚式をでっちあげる。ちゃんと真実を伝えるべきだと訴えるビリーと、悲しませたくないと反対する家族。葛藤の中で過ごす数日間、うまくいかない人生に悩んでいたビリーは、逆にナイナイから生きる力を受け取っていく。ついに訪れた帰国の朝、彼らが辿り着いた答えとは?……誰もが覚えのある家族の想いがスクリーンにあふれ、観る者の胸を熱くする、実話から生まれた感動作。

   家族の死をどう受けとめ迎えるか、それはその国が育んできた文化によって違うものなのだということが映画を見てわかった。

    末期ガンの祖母ナイナイに余命宣告をするかどうかで家族の意見は対立する。西洋の文化では、個人の尊厳として自分の余命を知り残されたの日々をどう生きるかは本人に委ねられる。しかし、中国に住むナイナイの家族は、死期が訪れるまで病気を知らせないと言う。中国ではみんなそうしていると。それはガンの恐怖で死なせたくないという家族の愛情であるのと同時に、命に対する考え方が東洋と西洋では違うというのだ。

   西洋では命は個人のもの、東洋では家族や社会で受けとめるものだと。なんと大きな違いなのだろう。この違いをどちらがより良いなどと決めつけることはできない気がした。それぞれの文化があることを認めるほかはないと思った。

    本当は、家族から病状を隠されているナイナイ自身も家族の嘘をわかっていたのではないだろうか。みんなの嘘に気がつかない振りをする、そういう愛情の形もある。なんだか、そんなことを考えたら涙が出てきた。やさしい嘘をお互いがつきあうという最後の愛情なのだ。

   私もそうだった。親子であっても、息子の全てを知りたいとは思わなかった。部活のことで悩んでいるだろうことはわかっていた。レギュラーから外されて悔しさや絶望でいっぱいになっていた時もあったと思う。でも、息子は家族の前では明るく振る舞い、いつも通り練習に出かけて行った。私も夫もあえて細かいことを聞こうとはしなかった。それは私たちなりの家族の愛情の形だったと思う。

何事も率直に偽りなく意見を言い合う文化もあっていい。でも、そうではない形の愛情もたしかにある。そんなことを映画を観て思った。

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