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“娯楽映画の王”の凱旋『RRR』は、三時間ずっと「面白すぎた」。

 映画にとって、“おもしろい”って何だろう……。これは、『バーフバリ 王の凱旋』を初めて浴びた際に、ふと頭に浮かんだたった一つの疑問である。

 こちらの想像を超えるド派手なアクション、豪華絢爛な歌と踊り、重厚な人間ドラマ、多様される神話モチーフとその反復。『バーフバリ』には、その全てが織り込まれていた。全てを内包した上で、計算され尽くした脚本と演出、キャスト渾身の演技によってその爆発力はぐんぐん増していき、結果として大河のように長く太い叙事詩としてフィルムに収まり、本国インドから伝来した熱狂は海を越え、遠く離れた日本をも席巻した。バーフバリ旋風と呼ばれたそのムーブメントは、その後の数多のインド映画の日本での上映を後押ししたであろうと素人目にもわかるほどの、大きな熱だった。

 その熱に新たに薪をくべるのは、“創造神”ことS・S・ラージャマウリ監督その人である。日本とインドの絆を繋げたこのフィルムメーカーの最新作の“凱旋”に心沸き立ち、マヒシュマティ王国民の歓喜の雄たけび(Roar)がタイムラインを埋め尽くす今、この映画に向けられた期待値はインド象よりも大きく、黄金像より高いものになっている。それに対する作り手の返答はこうだ。「想像しろ。超えてやる。

 舞台は、英国の植民地支配を受ける1920年のインド。森に住むゴーンド族の若者ビームは、英国人にはした金で連れ去られた村娘を取り戻すためデリーの街を訪れる。一方、とある使命を帯びたラーマは、今は警察官として英国人に仕える身となっていた。全く異なる境遇の二人は、とある事故から子どもを助けたことで意気投合。ビームはラーマを「兄貴」と慕うほどの唯一無二の仲になるのだが、ラーマは自身が追い求めていた標的こそがビームであることを知る。

 ……というのが本作のあらすじなのだが、みなさま、伝わるでしょうか。この香り立つブロマンスの予感。そう、本作はNTR Jrとラーム・チャランという二大スターが実在した革命の英雄を演じ、しかし史実としては相まみえることがなかった両者が「映画」というフィクションの中でもし出会ったら……というifを三時間の尺に膨らませた、言うなれば「インド版MOVIE大戦」なのである。もっと広い言葉で説明するのなら、要はクロスオーバーだ。それぞれが単独で主役を張れる格を持ち合わせた人物同士が共闘する、ヒーロージャンルの一番アツいやつ。その旨味を現行コンテンツの中で最も濃厚に煮詰めたものが『RRR』と言っても過言ではない。

 数奇な運命に導かれて出会ったラーマとビーム。二人はそれぞれに秘めた目的と正体を隠しながら、相手の素性を知らぬままに絆を深めていく。その発端となるエピソードなのだが、そこに至るまでに「1対1万人のバトル」「襲ってきた虎と闘う」と居酒屋のお通しみたいな気軽さで二人のキャラクター説明兼つかみのアクションを済ませ、満を持して二人が出会う場面ではミッション: インポッシブルが如き荒唐無稽かつサイコーにスリリングなタッグレスキューを見せる。その出会いを機に『RRR』のタイトルがドドーン!と出てきて、「えっまだ冒頭!?!?」とこちらの時間間隔を狂わせる異常な面白さが炸裂するオープニングシーン。そして恐ろしいことに、本作はこのテンションを維持したまま三時間を駆け抜けるのである。

 そこからは、アクションとブロマンスが交互にこちらの心臓を殴ってくる、至福の時間の幕開けだ。英国人女性とのちょっとしたロマンスも描かれるが、言語の壁に突き当たるビームが子犬のような瞳で助けを乞うのは「兄貴」と慕うラーマだし、ラーマもまた可愛い弟分に優しい視線を投げかけ、二人は本当の兄弟のようになっていく。二人乗りのバイクで街を疾走したり、子どもたちと綱引きに興じたり、肩車したり……。そうした細かな描写の積み重ねによって二人の絆が唯一無二となったその瞬間に明らかになる、ビームとラーマの運命の対立。素性を知らぬまま深まった絆に割って入るとある悲劇は、英国人からインドに注がれる支配と差別の視線であり、現実のインドが辿った苦渋の歴史でもある。元より革命を志すラーマにとって、故郷での誓いは何よりも大事なもの。使命と友情の間で引き裂かれる両者は、やがて拳を交えることとなる。

 創造神S・S・ラージャマウリ監督が舞台挨拶で語って曰く「10分に一度感情を揺さぶる見せ場がある」とのことだが、こちらから言わせれば過小申告もいいところで、実際は「3分おきにデカすぎる感情を見せつけられ、こちらが消し炭になる」だ。先のドラマパートにおけるブロマンス要素もさることながら、アクションパートでも本作の濃厚さは決して薄まることはない。むしろ、アクションでキャラクターや物語を語るという映画的文法(筆者造語)において、ラージャマウリ監督はもはや天才だ。部族としての在り方をフェイスペイントに忍ばせたビームと、英国から与えられたであろう制服に身をやつし自身の感情を押し殺すラーマ。中盤のクライマックス(言い忘れたがこの映画にはクライマックスが10回くらいある)バトルでは、虎や鹿が英国人を蹴散らす様子を背景に、炎と水に分かたれた両者が相まみえ、空中で激突し、なんやかんやあってドデカい屋敷がボロボロになるという「派手」の例文を更新するかの如きアクションを拝める。

 ここでも強調されるように、ラーマとビームは炎と水のモチーフで表される。本来は交わることのない正反対の特性。しかし劇中歌は「炎と水の抱擁 それこそ二人の絆」と歌い上げる。炎と水、それはまさに二人が出会った「橋」でのアクションがそうであったように、時にそれは呼応し並び立つものである。そしてそれは強き怒り(Rage)と、二人の激情を表す要素として、何度も観客に提示される。オタクはよく「太陽と月」のようなモチーフに弱いことに定評があるが、本作はそういう需要にも応えてくれる。全てを焼き尽くす劫火と、あらゆるものを流し去ってしまう怒涛の水。その二つが再び合わさった時が真のクライマックス、もはや言語化は不可能な密度と濃さと激しさで展開されるそれは、あの完全無欠の大傑作『バーフバリ』を初めて観た際と同じ熱を与えてくれた。

信じられないかもしれないが、『RRR』は
成人男性の肩車で泣ける映画なのだ。

 ここへ来て思うのは、ラージャマウリ監督の映画作りの技巧の確かさである。『バーフバリ』同様にキャラクターを動かす原動力として「復讐」のエッセンスを配しつつ、倒すべき敵がいかに許すまじな存在であるかと冒頭に描き、キャラクターの過去回想や悲劇的な場面でその導火線に火を点けつつ、ラストに一気呵成に爆発させる。そう、文字通り「爆発」で全てに決着がつく本作は、あらかじめ映画の序盤から中盤にかけて仕組まれた細かいアクションやセリフが結末が近づくにつれ特大の意味を持ち、もっともエモーショナルが高まるタイミングで“発射”される。順当というか王道というか、しかしそれが出来ていない凡百の映画に比べれば、ラージャマウリ監督作はいつだって正当で、そして何より「面白い」。面白すぎるのだ。

 ハッキリ言って、今上映されている映画の中で一番本作が「面白い」んじゃないだろうか。植民地差別や人権問題、インドの歴史を巡る諸々は映画を観た後からついてくるものだ。今はただ、劇場の座席に座り、特濃のブロマンスとクロスオーバーの激流に身を任せればいい。三時間は膀胱とお尻に厳しいかもしれないが、三時間ずっと面白すぎる映画がこの世に存在して、それをただただ拝むだけでいい、という体験がいかにゴージャスなことか。

 エンタメの王様と称された『バーフバリ』の創造主が放つ、新たなる傑作。それは、男と男の愛憎入り混じる友情を極限まで煮詰め、常にこちらの想像の上を行くアイデアとイマジネーションが炸裂するアクションでコーティングした、ハイパーメガ盛りスペクタクルデカ感情映画(目に映る全てがデカい)である。こちらの貧弱な語彙では『RRR』のすさまじさを伝えることは不可能だ。もしまだ本作を観ていないのなら、それくらいの“何か”が劇場でかかっているということを、どうか知ってほしい。

 奇しくも年末が近いが、今年の映画ベストを『トップガン マーヴェリック』に捧げるのはまだ早い。『RRR』を観てから今年のキングについてみんなで語ろうじゃないか。


















Q.これはナンですか?

A.監督と主演俳優が来日して舞台挨拶してくれたのでそのおすそわけです。

🫰🫰🫰🫰🫰🫰🫰❤❤❤❤❤❤❤❤

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