第1439回 爆風でも残されたもの

1、読書記録336

本日ご紹介するのはこちら

月刊文化財 令和6年1月号 通巻724巻

◆新指定の文化財―記念物ー

2、新指定の史跡など

令和5年10月20日に答申を受け、新規に史跡指定となったものが詳しく紹介されています。

9件の新指定
茨城県ひたちなか市 十五郎横穴群
岐阜県飛騨市 姉小路氏城跡
愛知県豊川市 三河国府跡
鳥取県米子市 尾高城跡
広島県広島市 広島原爆遺跡
広島県東広島市 西条酒蔵群
香川県高松市 勝賀城跡
熊本県菊池市 菊池氏遺跡

このうち広島原爆遺跡がもっとも気になりました。

構成要素、指定物件は6件。

・旧燃料会館(現平和記念公園レストハウス)
 爆心地から南西170mの位置にある。地上部分は破壊され、修復されているが火災痕跡であるススのある天井や爆風の影響で損傷したと推定される天井スラブが残る

・旧日本銀行広島支店
 爆心地から南東380mの位置にある。
 爆風による地階の扉の蝶番の損傷や、二階の木製の腰壁に窓ガラスの破片が刺さった痕跡が残る。

瓦礫の中にかろうじて、この建物がだけが立っている写真がなんとも衝撃的です。

営業所は大きな被害を受けましたが、広島支店は原爆投下2日後の8月8日(水)に営業を再開しました。

上記Webサイト

というものすごいエピソードも紹介されています。

・旧本川国民学校校舎
 爆心地から西北西410mの位置にある。
 躯体だけ残して全焼した。炭化した木煉瓦や焼け焦げた戸枠、配電盤などの火災痕跡が残り、現在では本川小学校平和資料館として活用されている。

外観からして入るのに覚悟が入りそうな資料館です。

小学校の生徒さんたちはこれを毎日目にしているのか…

・旧袋町国民学校校舎
 爆心地から南東460mの位置にある。
躯体だけ残して全焼したが、臨時救護所となっていた。
 地上1階、地下1階が部分的に残っており、救護所として使われた時の伝言や炭化した木煉瓦が残り、袋町平和資料館として活用されている。

こちらは外観は綺麗になっており、一見被曝建物とは分かりませんが内部の伝言板の写真もあります。

・多聞院鐘楼
 爆心地から東南東170mの位置にある。爆心地にもっとも近い木造被ばく建造物
 爆風によって損傷した天井や梁をそのまま残す

鐘は戦時中に供出して失われていましたが、1949年(昭和24年)8月5日に被爆地の砂を入れて「平和の鐘」として再鋳し、開眼供養されました。

上記Webサイト

というエピソードも。

・旧中国軍管区司令部防空作戦室
 爆心地から北北東790mの位置にある。
 広島城跡の本丸下段にあたる。
 当時勤労動員されていた高等女学校の生徒が電話により四国軍管区司令部と福山の部隊に被爆の第1報を伝えた場所

3、近代も遠くなってきた

どれも生々しい記憶の拠り所になる貴重な文化財だと感じます。

これは訪れなくてはいけませんね。

むしろこれだけの文化財が国の指定を受けていなかったことが驚きです。

古いことだけが価値ではない、という時代になってきましたね。

近代・現代の文化財も尊重されるべきなのです。

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。



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