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表現史と路上観察についての覚え書き

先日、路上観察学入門を久しぶりにひらきました。

40年近く前の本ですが、いい大人がわちゃわちゃと"物件"を面白がって語り合う熱気と興奮や、路上観察をめぐる内容への共感は、今の時代になっても変わりません。


路上観察のいま
今和次郎らが考現学を提唱したのが1927年、
路上観察学会がスタートしたのが1986年。
時代の変節とともに観察者の視線は形を変えながらも脈々と続き、その時代ごとに都市と人々を捉えてきました。

そして現在、
スマホやカメラの普及によって誰もが手軽に記録を取れるようになり、またSNSによって遠く離れた同好の士とも観察物を共有できるようになりました。
ネット上を見渡しても、かなりの数の人々が、日常的に何かを観察し、記録し、発表/表現しています。路上観察学会の設立宣言後にも路上観察ブームがあったそうですが、今また新たな形で再燃していると感じます。

ちなみに、赤瀬川原平は「路上観察学入門」内で以下のように述べています。

超芸術トマソンの発生した一九七〇年代初頭は、体制破壊の波が町を吹き抜けた直後である。(…)これは関東大震災のミニ版だろうか。
大地震によってすべてが崩れ落ちて等価のカケラとなってしまった荒野に、またぽつりぽつりとバラックが立ちはじめて町が再生していく。今和次郎の考現学は、その時代に生まれたのだった。
そういえば芸術がキャンバスからあふれて生活空間にひろがるという考現学的状況を呈したときにも、町には六〇年代安保闘争の動揺があったのである。考現学–路上観察の視線の源は、破壊と再生の谷間の原点に隠されているようである。

赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊・編「路上観察学入門」(筑摩書房、1986年)、p5

考現学や路上観察学が、戦争、大地震、政争といった都市の揺らぎと再生のなかで生まれたものであるならば、
相次ぐ大地震や天災、新型コロナウイルスの蔓延、ウクライナ侵攻など、現在の都市もまた十分なほど様々な要因を抱えており、新たな動向が形成される下地があると考えます。


表現史としての路上観察

かつて「路上と観察をめぐる表現史」という展覧会がありました。

路上で展開される観察行為にフォーカスし、美術の文脈として美術館で取り上げたのはこれが初めてではないかと思います。

わたしは展示自体は見れていないのですが、展覧会図録を持っており、この図録は私にとってバイブルです。何度も何度も読み返しています。
この展覧会では路上観察学会以後として、大竹伸朗、都築響一、チーム・メイド・イン・トーキョー、ログズギャラリー、下道基行らの名前が挙げられています。

美術館の展示なので美術家や建築家の名前が連なりますが、ここに更に追加するとしたら、2008年に放送開始したブラタモリなんかもひとつの系譜と言えるのではないでしょうか?

昨今の街歩きブームなどを考えると、観察の視線は、時代を経てひろく一般的なものになってきたと思います。

漫画やイラストがごく限られたプロだけが表現し、"オタク"のものだった時代から、同人誌即売会やコミケ、pixiv、SNSなど発表プラットフォームの充実に伴って、多くの人が楽しむカルチャーとなったように、
ラップやブレイキン、グラフィティといったHIPHOPカルチャーが今やヒットチャートやオリンピック種目入りし、美術史の重要な潮流となったように、
観察の視線は、これからより多くの人に開かれ、表現の裾野を広げていく時期にあると考えています。

たいそうな話になってしまいましたが、今回開催するイベント「熱視線」は、まさにこの表現の裾野を形成するひとつの場として展開していきたいという気持ちです。
すでに観察の視線を持っている参加者を通じて、来場者の皆さんにその視線を伝播し、そこからより多くの人たちに観察というカルチャーが広がっていくことを願っています。


イベント「熱視線」

開催日時 : 2024年6月23日(日) 12時〜17時
エントリー受付期間:〜2024年5月6日(月祝)
会場 : 中崎町ホール(〒530-0015 大阪府大阪市北区中崎西1丁目6-8)
主催 : 熱視線実行委員会  (新村葉月、アトリエ三月(原)、カフェギャラリーきのね(三宅))
公式Web : https://nesshisenevent.wixstudio.io/nesshisen-event
X(Twitter):https://twitter.com/netsushisen
Instagram:https://www.instagram.com/nesshisen.event/?hl=ja

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