見出し画像

老化は「治せる」──ハーバード大教授が提示する「平均寿命113歳」の未来(倉田幸信)

倉田幸信 「翻訳者の書斎から」第10回
"Lifespan: Why We Age and Why We Don't Have to"
by David A. Sinclair, Matthew D. LaPlante 2019年出版
LIFESPAN(ライフスパン)  老いなき世界
著:デビッド・A・シンクレア、マシュー・D・ラプラント 訳:梶山あゆみ
東洋経済新報社 2020年9月刊行予定 

老化とは一種の病気であり、難病ではあるが治療は可能だ──。

本書のメッセージを一言で表せばこうなる。そう言われても、ほとんどの人が眉にツバをつけたくなるだろう。世界一の高齢化社会である日本では、健康や長寿に関する情報がちまたにあふれかえっている(Amazonで「長生きしたければ」がタイトルに含まれる書籍を検索したところ32冊がヒットした)。ネット上でいくらでも見つかる健康情報は玉石混淆であり、なかには詐欺に近いようなものまであるのはご存じの通りだ。

だが、本書の著者デビッド・シンクレアはハーバード大学の医学部教授であり、長寿と加齢に関する研究では世界的に知られる第一人者である。2014年には米タイム誌の『世界で最も影響力を持つ100人』の一人にも選ばれている。長生きに関する本を書くならば、彼ほどの適任者はいない。そのような人物が、「老化は治せる」と明言しているのである。どんな話なのか、興味をそそられない人はいないだろう。

人類の平均寿命は113歳になると試算

老化を“治療”するための具体的な方法論に触れる前に、まず「人は何歳まで生きられるようになるか」という大問題に対する著者の見解を紹介しよう。

現在の先進諸国の平均寿命はおおむね80歳程度だ。それが、情報技術の進歩により10年ほど延びると筆者は見る。例えば車を運転中、自動車に内蔵されたセンサーがドライバーの脈拍をモニタリングし、異常があれば医者に通報する。キーボードを叩いているだけで、パソコンがパーキンソン病の兆候を早期発見し、使用者に警告してくれる。現在進行中の情報革命のおかげで、近未来には多くの疾患の早期発見が可能になり、誤診や医療過誤は激減するだろう。その寿命延長効果は、極めて保守的に見積もっても10年はあるという。さらに、「寿命は延ばせる」という新たな常識が広まり、人々が行動を変えることでも平均寿命は延びる。カロリー摂取を控えたり、適度な運動をするといった個人レベルの健康管理を多くの人が意識するようになれば、その寿命延長効果は少なくとも5年はある、と筆者は言う。

そのうえ、人体がDNAレベルで持つ「サバイバル回路」(詳細は後述)を作動させることにより、ヒトの寿命は少なくとも10%、つまり8年間は延びると筆者は訴える。

ここが本書の最も興味深い部分であり、老化を防ぐまさに“魔法”のような方法である。あくまで研究段階の仮説であり、実用化のメドも見えていない話ではあるが、動物実験では10〜40%の寿命延長効果が実証されており、人間にも同じ効果を期待できると考えるのは当然だ。

上記の3つの効果を足し算すると、ヒトの平均寿命は計23年も延びることになる。加えて人工臓器の普及など今後20〜30年以内に実現が見込める医療技術によって、さらに10年は寿命が延びるだろうという。以上を合算すると、先進国の平均寿命は現在の80歳程度に33年が上乗せされ、113歳になるだろう──これが、老化研究の世界的権威である筆者の見解だ。

40億年前の生存戦略が老化防止のカギを握る

では、平均寿命を110歳以上にまで引き上げる“魔法”とはどのようなものか?
筆者によれば、それは40億年前の原初の生命から我々が引き継いだ「サバイバル回路」にあるという。地球上に原初の生命が誕生した頃、地球環境は今とまったく異なり、超高温や超低温、宇宙からの放射能や極端な乾期などで生物の生き残りには厳しい環境だった。そこで原生生物は、生存が厳しい環境におかれてDNAが傷つくと、細胞分裂や生殖といった自己の再生産をいったん中止し、傷ついたDNAの修復に専念するという戦略を採った。筆者はこの状態を「修復モード」と呼ぶ。

この生き残り戦略のおかげで、40億年前の極めて厳しい地球環境下でも次世代に命をつなげることができたのだ。現存する地球上の生物は人類もふくめてすべて、そのような回路を遺伝子レベルで引き継いでいる。

筆者は、老化とは要するにDNAの劣化、より厳密にはDNA読み取りシステムの劣化であると考えている。そこで、人為的に修復モードを発動させ、自分の体内にある劣化したDNAを修復させれば、それが老化を防ぐことになる(筆者はこれを「DVDの表面についた傷をきれいにして正しく再生できるようにする」と例える)。原初の生命が過酷な環境を生き抜くために使った「サバイバル回路」を巧みに利用して、遺伝子レベルの傷跡を消すことが、老化を防ぐ魔法になるのである。


とはいえ、我々は危険な放射線や超低温に日常的にさらされているわけではない。そこで、健康な身体をいわば“だまして”「修復モード」を発動させるため、寒い思いをするとか、昼食を抜くといったストレスを自分の身体に与えることで、老化を遅らせることができるはずだ──。

著者は現在の老化研究の現状を、1960年代のがん研究に似た段階にあると見ている。60年代には「がんとはどのような病気か」は明らかだったものの、それを引き起こす根本原因が見つかっておらず、腫瘍を切除するという対症療法しかなかった。それが70年代になると「がん遺伝子」が発見され、その発現を抑える仕組みも解明され、治療は一気に前進した。これと同じように、現在は老化がどのような現象(病気)であるか、全貌が明らかになりつつある段階であり、個々の老化現象に対する対症療法はすでに存在している。それほど遠くないない将来、個別の老化現象の背後にある根本原因が特定できるはずだ、と専門家が自信を持てるような段階にまで、今の老化研究は進んでいるのである。

本書は300ページを超えるボリュームがあり、「老化」という現象について生物化学的見地からかなり詳細に解説している。このため手っ取り早く老化防止の方法だけ知りたい、という人にはお勧めできない。生命の神秘に興味があり、老化という不思議な現象について知りたいという好奇心があるなら、凡百の類書を読むよりこの一冊を読破すべきだろう。専門知識がなくても理解できるようにかみ砕いて説明しているので、門外漢であっても読むのに苦労はしないはずだ。誰もが逃れられない“老い”という身近な問題について、まったく新しい視点が得られるだろう。

執筆者プロフィール:倉田幸信 Yukinobu Kurata
早稲田大学政治経済学部卒。朝日新聞記者、週刊ダイヤモンド記者、DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部を経て、2008年よりフリーランス翻訳者。


よろしければサポートをお願いいたします!世界の良書をひきつづき、みなさまにご紹介できるよう、執筆や編集、権利料などに大切に使わせていただきます。