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歴史とは体内に取り込んだ破片なのか?(園部哲)

「園部哲のイギリス通信」第11回
"The Man Who Saw Everything"(すべてを見た男)
by Deborah Levy(デボラ・レヴィ) 2019年8月出版

本作はきわめて実験的な作品である。小説界で「信頼できぬ語り手」を一人称単数の語り手として使う叙述トリックは珍しいものではなくなった。このまま高齢化が進めば、特に工夫せずとも小説の大半は主人公が高齢者となり、“耄碌小説”となるかもしれない。

ところで小説において、その内容がどれほど誠実かつ赤裸々な自伝だったとしても、その語り手自身が「信頼できるかどうか」によって、その印象は大きく変わってくるのではないだろうか。

本作はあくまで「信頼できぬ語り手」による作品であること。その感覚を念頭に置いて読むのが、トリッキーな本作品に向かうときの「手引き」になる気がする。

主要登場人物は:
Saul Adler(ソール・アドラー)28歳、歴史家
Jennifer Moreau(ジェニファー・モロー)23歳、写真家

全編を通して「私」ソール・アドラーが一人称の語り手となる。

1988年、アビーロードから物語ははじまる

時は1988年、場所はロンドンのEMIレコーディング・スタジオ前、かの有名なアビーロードの横断歩道である。そこを渡ろうとした主人公、28歳の歴史家ソール・アドラーが車にはねられる。幸い打撲と切り傷程度で済んだものの、ぶつかってきた車を運転した白髪の60代の男が謎めいている。ウォルフガング(ええ、あのモーツァルトと同じ名前です)と名乗る彼はソールの年齢を尋ね、かつまたソールのガールフレンドの年齢まで訊くのだった。

その日ソールがアビーロードにいたのには、理由がある。ガールフレンドの写真家ジェニファーが、ビートルズをまねて横断歩道を渡るソールの写真を撮る約束になっていたのだ(ソールはジョン・レノンを気取って真っ白のスーツを着ていた)。

ソールは東ベルリンへ出張し、現地でウォルターという女性に通訳を頼むことになっていた。その妹ルナがビートルズの大ファンだったので、1969年のアルバム『アビイ・ロード(ABBEY ROAD)』の手作りオマージュをロンドン土産として持参しようとしたのである。

東ベルリン出張の目的はナチズム時代のレジスタンス運動の調査だった。その研究志向は共産主義者だった父親の影響を受けているともいえる。ソールは、父親から暴力を含む厳しいしつけを受け、ひどく彼を嫌っていた。それにもかかわらず、最近その父が死んだのを機に、改めて彼を追慕し、挙げ句の果てに父が夢見ていた共産主義の理想国、東ドイツに父の遺骨を埋めようと、遺灰をマッチ箱に入れて持参していた。

一方、ソールは東ベルリンへ来る前に恋人だったジェニファーから振られていた。母も父も亡くしたあとの恋人との離別のせいか、強く孤独を感じていたソールは、通訳者のウォルターと肉体関係を結ぶ。しかもその後、妹のルナとも寝る。

西ヨーロッパに憧れるルナは、東ドイツからの脱出計画をソールに話す。ここで不思議なのがソールの反応だ。「1989年11月にはベルリンの壁が崩れるから焦ることはない」とルナに語る。1988年に生きている彼が、なぜ1989年のベルリンの壁崩壊を確信をもって語れるのだろう? ソールは未来から来た男でもなければ、予知能力があるわけでもない。それなのに淡々と、いずれ歴史的事実になる事柄を語るのである。

前半のサマリーだけでもすでにさまざまな──それも脈絡のない出来事が山積みになった感じがする。それがなぜなのかは、後半で徐々に明らかになってゆく。

「見たことのある光景」がとりとめもないまま散らばっていく

時は進み2016年6月。だが場面はまたしてもロンドンのアビーロードだ。「私」ソールは横断歩道を渡ろうとしたところで、またもや車にはねられる。運転手はウォルフガングと名乗る60代の男性だった。ウォルフガングはソールの年齢を尋ねる。ソールは「28歳だ」と答えるが、ウォルフガングは信じない。ソールは56歳になっているのだ。誰も彼が20代だとは信じるはずもない。

だが28年前の事故とは違い、今回の事故は深刻だった。ソールは救急車でロンドン大学の病院へ運ばれる。車のバックミラーが粉々になって、その一部がソールの頭蓋骨の内部に刺さっていた。

後半でソールは、ほぼ最終ページまで大学病院に入院したまま過ごす。不思議なことに、28年前に死んだはずの父親が見舞いに来て、ソールの枕元でサンドイッチを食べていたりする。そして「お前はもう死んだかと思った」などと言われるのである。(ここから先はネタバレになってしまうのだが、それを言わずしては本書を説明できないので、ご容赦を願いつつ話をつづける。)

結局のところ、本書前半に費やされた1988年の出来事というのは、2016年に交通事故にあったソールが生死の境、モルヒネの影響下で回想した出来事だったのである。従ってそのイメージはシャガールの浮遊する人々や物体のように散乱し、とりとめがなかった。

ソールの頭脳に刺さり込んだ鏡の破片というのはメタファーであって、自分の人生という歴史が不定形の破片となって、脳内で乱反射する様子を描いているのだろう。ソールの入院中に病院へ見舞いにやってくるのは、前半現われた人々である。彼ら彼女らはソールの「脳内1988年」とは違う風情で現われ、ソールと言葉を交わす。

ここまで来れば、もう一度前半を読み返し、どこが事実でどこが妄想なのか読みほどくという楽しみも(それが正解がどうかは永遠にわからないのだが)待っている。

本書は2019年のブッカー賞ロングリストの12作に選ばれた。残念ながら最終候補には至らなかったが、大胆な手法を讃える声は多かった。

執筆者プロフィール:園部 哲 Sonobe Satoshi
翻訳者。ロンドン在住。翻訳書にアリエル・バーガー『エリ・ヴィーゼルの教室から: 世界と本と自分の読み方を学ぶ』、フィリップ・サンズ『ニュルンベルク合流:「ジェノサイド」と「人道に対する罪」の起源』(いずれも白水社)など。朝日新聞日曜版別紙GLOBE連載『世界の書店から』でロンドンを担当。

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