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春と絶対のはなし

今日から新学期なので春休みのまとめのような、最近思っていることのまとめのようなものを書きたいと思います。
いつもより気を抜いてゆるりと書きます。ここにいるあなたも力を抜いてゆったりと、春眠の眠気に誘われながら読んでみてください〜。

それではそれでは。


気づけばこの2〜3年、春に良い思い出がありませんでした。
ワクワクドキドキ浮き足立っている周囲の人と、それと対照的にドロドロとした重さを常に抱えている自分を比べては、その落差に心底がっかりしながら過ごす季節。それこそ私にとっての春でした。とりわけ冬が恋しいわけでも夏が待ち遠しいわけでもないので、春のせいではないとは思うんですけどね。
ランタンの薄暗い光しかない地下道をトボトボと一年中歩いているような感覚、それを一番強く感じるのが春でした。

でも、今年の春は少し違うようです。
新しいことも怖くないし、明日が来ることに落ち込まないし、春に辟易することもありません。
それは、抱えきれないほどの大切な出会いと会話と音と言葉があったことを、私の中に丁寧にしまうことができているからです。
今この瞬間も、どこかで私を勇気づけてくれた人たちが生きているし、その人たちとの思い出が身体の奥底から湧き上がるようなエネルギーを送ってくれています。

ある人に言われた「またすぐに会えそうな気がする」という言葉には、とても切ない気持ちになりました。私が再会を願っていることとその人の感覚が交差したように感じられたからかもしれません。
「予定が合ったら」なんて野暮なことを言ってしまったけれど、「絶対に」と言い切ればよかったと少し後悔しました。「絶対」の濫用はしたくないけれど、生きて必ずもう一度会いたいと願う人に対しては、「絶対」と言って約束を交わしたいと思いました。
本当の「絶対」は存在しないから。

「絶対」が存在しない世の中で、頼れる人やものや場所があることは素晴らしいことです。
海の奥底まで長い時間潜って、やっと水面まで浮かび上がってきて息をした瞬間。その空気がおいしかったのは紛れもなく、様々な人が残したものたちとその人たちの存在があったからです。
頼れる人やものや場所が確かにそこにあること。それが手に取るように分かるようになりました。
そして、その存在を感じられるようになったその瞬間から変わらないこと。
それは「彼らがそこに在り続けるための努力をしたい」という気持ちです。

今のところ、それが大きな目標です。


春っぽい解像度です。ぼやぼやっとしている感じ。
たまにはそんなものもいいでしょう!ということで!

不安定な天気が続いていますが、無理しないで生きていきましょうね〜

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