物理的な幸福 X 精神的な不幸 = 死亡願望(100X-100=-1,000)

①私は万人がうらやむ世界都市で生まれた。

②五体満足で、身体の健康は良好。

③治安の良い住宅街にある広い庭付きの一軒家で育った。

④両親がいて、兄弟もいた。

⑤毎日3食美味しいご飯を与えられていた。

⑥現地では英語の教育、週一に日本の教育も受けていた。

⑦現地の短大を自腹で卒業後、日本では一応有名な大学も自腹で卒業した。

⑧世界を股に掛け、国際人としてあらゆる仕事に専念してきた。

こんなに物理的に恵まれているのに、4歳から40歳の現在まで複雑性心的外傷後ストレス障害(C-PTSD)という精神疾患のあらゆるトラウマ症状に毎日悩まされ、安楽死をすることしか希望を持てない。

症状の一部:
記憶喪失、解離性障害(DID)、
フラッシュバック、過食症、躁鬱、
性嗜好障害・強迫的性行動症、
月経前増悪(PME)、パニック障害、
対人恐怖症、自傷行為、不眠症、
境界性パーソナリティ障害(BPD)、人間関係における強迫性障害(ROCD)などなど……。

そんなこと言ったって
「こちとらもっと恵まれない人生を送って、頑張ってるんだから、お前は甘えてるだけだ」と思う人が大半ではないだろうか?

わかる。

私自身が全くそのように、
自分に喝を入れながら今日まで生きてきたから。そう思われることは不思議じゃない。

世の中にはもっと悲惨な人生を送っている人がいるんだから、私は不満を感じてはいけない、とさえ思っていた。

「自分より悲惨な人生を送ってきた」と思える人で囲まれていたが、無意識的にそういう人を引き寄せていたのだろう。

他人の不幸は正しく、蜜の味だった。

でも仮に私の押し殺しきれない苦痛が(甘えだろうがなんだろうが)切実な感覚だとしたら、それは何故だろう?と疑問に思わないだろうか。

私にはずっと謎だった。

けど、考えないようにしてきた。

25歳。交際男性へのDV加害をどうしても辞められないことから、自分の中に問題があるということに気づき始めた。

夜になると頻繁に脳裏によぎっていた感覚付きの映像は「悪夢だ」と思い込んできたが、

精神治療を進めるうちにその正体を認めざる得なくなった。

父親から始めて受けた性虐待(猥褻)および心理的虐待(ガスライティング)。

人生が狂い始めた原点はここのようだ。

そして追い討ちをかけるように、
母親からの体罰、精神的虐待。

4歳くらいから始まり、
21歳で実家を出た後も、
35歳から絶交した後も続いている毒親による被害。

しかも両親は「可愛い、かわいい」と私を溺愛しているようだったので、余計に混乱した。

もっと極端に分かりやすい毒親だったら、自分のせいではないということに、もっと早く気づけたかもしれないが。

自責してきた。4歳から30年間。

人生の大半を、両親の言動を正当化しようと、自分が感じている苦痛を無効として矮小化するための努力を、無意識的・意識的にしてきた。

(疲れたので、一旦休む。)



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