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2022年の夏のロードトリップ イタリア編🇮🇹⑪Avignon(France)→HOME

ベルギー時間で午前2時21分 こんばんは!

ローマ→アヴィニョン
→ベルギーのロードトリップ帰宅編。になります。

Belgium→Innsbruck (Austria) →Venezia (Italy) →Pisa→Bologna→Firenze→Rome→Ostia antica→Avignon(France)→HOME

朝からテントを畳み、パンとハム、
チーズ、トマトを積んで
ローマからアヴィニョンへ向かう為車に乗り込み
Cinque Terreへ寄っていくことを大きな目標に出発。

Wikipediaより

美しいじゃないですか!Cinque Terre!!
夢じゃないですかロードトリップ愛好者の!

だから期待大で、車中も興奮気味に
ここまでの旅について語り合う

ガソリンが減ってきたので足を伸ばす口実も含め
4時間ほど走って田舎の山中の給油所へ。

ヨーロッパには珍しく
フルサービスの個人経営のガソリンスタンド

しかしここで悲劇が始まる。

「Ancora, ancora, ancora...オーライオーライ」

この声に誘導されバックすると

ドンッ


ええ、こういう瞬間、
時が止まります。

不要な縁石が変な場所にあり、
更に誘導100%信じた結果
縁石に乗り上げ、タイヤパンク。

その瞬間。給油所のスタッフが
スーパーマリオのルイージが
ダメージを食らった様な声を出した。

ボスくん誠実で優しく
文字通り、蚊以外の虫も殺せない
温厚で引っ込み思案な人。
怒りではなく、気に病んでいた。

一方私、間髪入れないせっかち。
白黒はっきり
自分の正義ぶん回すヤバイやつ。
社交性だけは高い

ここでボスくんの第一声

「ロードサービスの対応するまでここに
駐車していても良い?」

優しい、優しすぎる。

私は感心通り越して苛ついた。

そもそもお前が誘導したんだろ。
と言いたかった。

が、100%向こうが悪いわけでもないし
ここはヨーロッパ。
ヨーロッパ人同士に任せよう。
そう思い、飲み込んだ。

ロードサービスに電話し、待つ。
30分くらいで行く。から1時間経ち
ようやくロードサービスの兄ちゃんが来る。

ここでひと悶着起こる。

兄ちゃん
「無料でスペアタイヤに替えるから牽引勘弁」
(めんどくさいから)

ボス君
『ここからベルギーまで帰るからスペアは危険、
保険も効かせてタイヤ交換したい。』

10分以上Google翻訳で言い合ってる。
ボスくん押されまくり…

兄ちゃんに「バスタ!!!!(もういい!)」

と突然怒鳴られ、
半ば強引にスペアに替えられそうになるボスくん。

もう黙ってられない。
私が立ち向かう。

・そもそもタイヤ替える前提でロードサービス呼んだ。
・決定権は客にある、勝手に車を触らないで。
・レッカーできないなら本社に電話する。
・お互い時間無駄にするのはやめないか。

端的に翻訳し伝える。

そして私厚かましくも全く動じない無い。
そんな姿勢に兄ちゃん凹む


そもそもここまで遅刻して
開き直るんじゃない。と日本語だったら
侍みたいなこと言ってたに違いない。

蓋を開けば
この兄ちゃん牽引の機材を持っていなかった。

##野郎。
思わず日本語が出た。

差別と言われても仕方がないが、
皆さん理解してほしい。

ここはイタリア。

時間にルーズ、
日本人の価値観なんてゼロ。
商人の交渉の性質ガンガン。
こんな状態でも咥えタバコ。
(いや、ここガソスタなって思う)
そして率直。

しかし言い換えれば
あなたが交渉することも許されるということ。
そして恐らく率直さを好むということ。

早速自分を信じてズバズバ交渉してみた

・タイヤ屋を見つけ、そこまで私達を連れて行くこと
(スペアで行ってタイヤ屋探す時間を無駄にしたくない)
・無料でスペアタイヤに替えること
・タイヤ屋の予約もこの場で入れること。

に漕ぎ着けた。
しかし既にパンクから2時間経過。


タイヤ屋つく頃には
兄ちゃんとは程よく仲良くなってた。

タイヤ屋のおじさんは輩風の
粋なおじさんで英語全く喋れない。
しかし仕事も早く弟子たちも多い

事務の会計担当のようなぽっちゃりした男は
典型的にもドーナッツを食べ
唯一英語を話せる者だった。

映画に出てきそうな展開で
少し笑ってしまった。

そんなこんなでタイヤを替え
さっきの給油所付近の場所に戻るまでに
4時間半のロス。

ええ、Cinque Terreどころか
ホテルのチェックインにすら
間に合うかどうか‥となった。

さらに、時間がずれたことにより渋滞時間に
渋滞スポットのど真ん中になってしまった

高速でパンを齧り、高速で仮眠を取り

結果、最終日2日間
アヴィニョンのホテルで過ごすはずが
到着は翌朝となった。

1日分のホテルは無駄となった。
連絡入れてたが連携が取れてなかったのか

ホテルに着くと昨日来なかったからと
別の人が我々の部屋を使っていた。 
エントランスでまたもゴタツイた。

そしてフランス、
英語が通じない場所が多い。
早朝のスタッフも英語が通じなかった

しかしボスくん
フランス語も話せるマルチリンガル
静かな人だけど頼りになるんです

ようやく部屋へ到着

まだちゃんと寝てなかった私達は
ホテルで昼まで寝て散歩へ出た

アヴィニョンはフランス南東部にある
プロヴァンス地方の都市、
1309 年から 1377 年まで教皇庁が置かれてた場所

1791 年にフランスの一部になるまで
教皇の支配下にあった為
中世の石の城壁に囲まれた中心部にある
大規模なアヴィニョン教皇庁(教皇宮殿)に
現在も当時の城壁内の生活を感じることが出来ます。
この日、運命は私達をイタリアから引き離すこと無く

大々的に行われていたイタリアフェス。

寝ぼけてピザ食べてしまうところでした。
街は白雪姫とかに出てきそうな
中世ヨーロッパ感満載。

しかし、フランスに入った途端に寒くて
天気も悪くなってました。

気温差10℃
心なしか建物も寒そう
昨日の長距離ドライブでエコノミー症候群に。

すごく浮腫がひどかったので
少しハイキング。

走り回ってもはや半袖
この橋知っている方いますか?
でもきっと、皆さんこの歌は知ってるかと思います

きっと日本人の殆どが知ってるあれです。
この歌はこの橋の歌なのです。

しかし、ベルギー人の
ボス君は知りませんでしたw

1177年から1185年にかけて建設された石造アーチ橋で、
かつては長さ920m、幅4mの大きな橋でした。

当時は22のアーチがありましたが、
現在はそのうちの4つのアーチのみ残っています。

この橋は、12世紀スペイン・イタリア間を
往来する商人や巡礼者にとっては便利なものでした。

何故ならリヨンから海へ出る唯一の手段だったからです。

そんなアヴィニョン橋、
1226年のルイ8世によるアルビジョア十字軍の
攻撃により、4分の3が破壊されてしまったのです。

もちろん人々は再建を試みましたが、
1603年のローヌ川の洪水でアーチが1つ崩壊し、
続けて3つが壊れるという悲劇が。

更にペストの流行も追い打ちをかけ
橋の維持や修理が難しくなり
再建は放棄されることとなり
現在もこのままの状態で残っている。

その足でここへも向かう。

ポン・デュ・ガール 水道橋


1985年に世界遺産に登録された
ローマ時代の見事な水道橋。

高さ48m距離 50kmもあり、
ユゼスの水源からニームに水を送っていた当時の
人々の生活を支える重要な機能の一つでした

体はヘトヘト、筋肉痛、
街はとても寒い。

でも、水場には入りたい派。

不思議ですよね、昨日までは熱くて熱くて

日焼けもたくさんしたのに

あっという間に秋でした。

この冬から戦争の影響でヨーロッパ全土で
エナジーアタックがあり、
電気とガス代が5倍以上に跳ね上がりました。
東京に比べるとかなり寒いベルギーなので
かなり堪えましたね。
特にイタリアの暖かさのあとには
より寒さを感じました

でもとっても美しかったので
1日だけになってしまったけど大満足の
アヴィニョンでした!

この日はこの後、
疲労困憊のボスくんと共に
ポテトチップス食べてコーラ飲んで、
Chromecastをホテルのテレビに繋いで
映画を観ながら
軽食を取りゴロゴロしました。

翌日11時間の運転をし
無事にベルギーへ戻りました

今記事でロードトリップ イタリア編
遂に完結。

ここまでまさかの  11記事+補足記事と
こんなに書きたいことがあるなんて
自分でも知りませんでした。

やはり私にとって思い入りの強い旅だったのだなと今も思います。
この旅で後悔したことは思ったよりも少なく、
人生でも一番幸せで、印象的な旅でした。

そして今年も、
2023/08/10~08/26   ロードトリップで
スペインへ向かいます!
この夏も皆さんステキな時間をお過ごしください!

Grazie per aver letto!
読んでくれてありがとう!




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