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おぼろ月夜の魔法

 彼女が店に入ってきた時、ドアの向うに丸い、でも少しもやったクリーム色の色の月が見えた。
 私は思った。
 今日は"魔法"が使えるかも、と。

 金曜夜、街を柔らかく照らす月のお蔭か、この小さな店もにぎわっていた。
 空席を探す彼女に私は声をかける。
「カウンターでよかったら」
「あ、はい」
 彼女は会釈でこたえ、着ていた上着を丁寧に畳み、大き目のカバンと一緒に 椅子下の荷物かごに入れる。
 3人がやっと座れる厨房前の狭いカウンターの左に彼女は座る。右端には先客がいた。
「カレーライスお願いします、あとレモンサワーも」
 彼女は月に数回、週末の夕方に現れるお客さんだった。
「先に飲み物でいい?」
「はい、お願いします」
 私はグラスに月のようなレモンをしぼり、焼酎とソーダ水を注ぎ入れ彼女にだす。
 彼女はチェックしていたスマホをテーブル上に置いた。
待ち受け画面は、今日もかわいい猫の写真だ。
「・・・ふう、美味しい」
 勢いよく飲んだあと、そう声に出した彼女は照れ臭そうだった。
「仕事帰り?」
「はい、今日は外回りで・・・」
 それ以上は聞かない。相手が心の扉を閉めない程度にしておく。
でないと"魔法"がきかないかもしれないから。

 私は右端のカウンターに座るもう一人を見た。
 常連の彼は、まだ一杯目のビール。手に持ったスマホで動画をのんびり見ている・・・画面の中ではかわいいネコたちが動いていた。
 彼がもう一人の魔法の標的は彼。、
 私はご飯に温めたカレーをつぎ、自家製ピクルスを添え彼女へ出した。
 彼女は礼儀正しく手をあわせ『いただきます』と声にならない声でつぶやき、スプーンを手に取った。
一口食べると満足そうに微笑み、さらに食べ続ける。
私が彼女という客に好感を抱いたのは、初めて来た時からとてもおいしそうにご飯を食べてくれたからだった。

「すみません、いつものバーボンの水割りで」
 彼が2杯目を頼んだ。
 私は薔薇のラベルのバーボンを手に取り、水割りを作る。
 やや気持ち濃い目。お酒に強そうな彼なら問題ない程度。
 でもいつもより少し早めに酔いがまわる程度に。
「どうぞ」
「ありがとう」
 いつも丁寧に礼を言う彼は気持ちのいい青年だった。
「今日もネコ動画? 好きなんだね、飼わないの?」
「今の家じゃ無理なんで・・・実家でずっと飼ってたんだけど」
 そう言って彼は笑う。
 クールな都会派に見える彼だけど、こういう話をして笑う時は目に笑いじわがよって、ちょっと少年のようだ。
「寒い日とか布団の中にもぐりこんできたり・・・飼えればいいんですけどね」
 そんな私達を左の彼女が見ていた。
 私と目があうと、彼女はごまかすように
「ごちそうさま。今日もおいしかったです」
 空のカレー皿を片付けながら私は言った。
「いつもありがとう。あら、もう飲み物ないね。何か飲む?」
「え、あ・・・」
 ちょっと悩んでいる彼女に、私は魔法のアイテムを使うことにした。
 私はカウンター下のワインセラーから、先日仕入れたワインを取り出した。
「これいかが? おすすめのワイン」
 彼女の前に置いたボトルのラベルはかわいいネコのイラスト。
 思った通り彼女は目を輝かせる。
「わあ、ネコのラベル?」
「でしょ? かわいいだけじゃなくて美味しいよ」
「でも、ボトルか・・・私、そんなに飲めないし」
「グラスでOK」
「でも私のために開けさせちゃうなんて」
 すると右から声がした。
「僕も・・・いや、もし開けるならボクも飲みますから」
 ちょっと濃い目のバーボンでほろ酔い気味だったから?
 いつもならここで声をかけたりしないタイプなのに。
「決まり、じゃあ開けましょう!」

私はネコのボトルのワインを開けた。
グラスは3つ。
.一つは彼女、もう一つは彼、そして私の分も。
「せっかくだからみんなで、カンパーイ!」
 二人は私につられ一緒に乾杯をさせられた。
「どう?おいしい?」
「はい、おいしいです。このワインの写真とっていいですか?」
 彼女は写真の為に自分のスマホを取り上げた。
 その時、彼は彼女のスマホの待ち受け画面に気づく。
「あ、ネコ?」
「あ・・・はい。これ実家のネコなんです」
彼女は嬉しそうにスマホの待ち受けネコを彼に見せた。
「女の子?」
「はい、もうおばあちゃんだけど、まだ子供みたいで」
「うちのも、あ、うちのはおじいちゃんなんだけどね、お気に入りのハコあるとすぐ潜りこんで」
「うちの子も! いつもお気に入りのカゴがあってそれがないと鳴くんです」
 ネコをきっかけに話はみめた二人。
 どうやら魔法がうまくききはじめたようだ。
 私はそっと二人のグラスにお代わりを注いだけど、それすら気づかず二人は話を続けていた。

 アルコールは魔法のクスリ。でも処方が難しい。
 少なすぎると効き目がないし、多すぎると周りが見えなくなる。
 その真ん中のほろ酔い程度がちょうどいい。
 ほろ酔いの魔法は幸せな気分を作るから。
 私は魔法使いじゃないけれど、たまにこんな”魔法”を使ってみたくなる。

 窓の外には月が光っていた。
 少しもやがかかったおぼろ月夜。
 柔らかい光がかえって月とその照らす街を美しく優しくみせている。
 ほろ酔いとおぼろ月夜は似ているかもしれない。
 私は自分のグラスにも二敗目をついだ。
 実は私がおぼろ月夜にまどわされ、魔法の片棒をかつがされただけなのかもしれない。
 それでもいい、幸せなおぼろ月夜の”魔法”にカンパイ!

    

    ~ Fin ~

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