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21日間、お肉から離れてみて(後編)

ペスカタリアンは、
肉は食べないですが、魚は食べてOKなので、
「野菜だけ」の思うよりは心理的なハードルも大分低くなり、
気づけば当初の目標21日間を達成していました!

実際にやってみた

まず前提にお伝えしたいのが、
「肉を絶つ生活」って
現代社会でやろうとするのはめちゃめちゃ難しいです…

究極的にはすべて自炊にして、お昼にお弁当を持っていくことですが、
私はお弁当を作る習慣がなかったので、また別のハードルが余計に課されてしまいます。。

だから、お昼ご飯は魚中心の定食屋さんに行くか、それをメインにした弁当(アジフライとか)を頂いておりました。

それでも、肉を使うメニューの方が圧倒的に多いです!
弁当屋さんの弁当といえば「唐揚げ弁当」「生姜焼き弁当」とかが多いですよね?

まあ、それでも注意深くみながら、今回は一切肉を摂らないという方針で生活していました。(とはいえ100%ではなかったですが💦 ほぼ100%魚・野菜・米でした)

体感的な変化

んで、明らかに直接的な良い結果がもたらされた、といえることはありませんでしたが、体感としての気づいたことを何点か話すと、

  • 過剰な食欲がわかなくなった

    • 肉を食べすぎると、「もっと、もっと食べたい」となってくる

  • 肉を食べないことを意識すると他への意識が緩くなる

    • 小麦を控えていたのが、なんか許せるようになったり

    • 添加物も多少なら「肉じゃないし…」と思って許可を出したり

      • それってどうなん?

  • ヴィーガン向けの弁当(大豆ミートで作られた肉っぽい料理)だと物足りなさを感じる

まあ、そんな感じで続けられてはいたので、そのまま継続していました。

その生活に転機が訪れます。

極端な菜食が生むものとは

その転機とは、私の食に対する優先順位を大きく上げるきっかけとなった方が、オンラインで食や生き方の講座をされるという情報を聞き、それを受講したんですね。

その第1回目が先日配信されたのですが、
その中で取り上げられていたのが、
映画「カレーライスを一から作る」でした。

そこでお話されていたのが、
「映画に出てきた子も『人間って残酷で不思議な生き物』と言っていたけど、私たちはどうして肉は締めたがらないんでしょうね。
どうしてお米や野菜は喜んで収穫するんでしょうね。
不思議ですよね。いのちを頂く点は同じなのに。」

その言葉が、私の心に、
じわじわとかつ温かく包み込むように響いてきてたのです。

「あ、なんか違ってたかもな。」

肉食を辞めて
実は私自身も知らない間に、
つい肉を避けるようになっていたことで、

  • これは食べられる(と自分で許可する)けど、あれはダメ

  • こういうところは良いけど、ここは良くない

  • ○○を悪く言う人は苦手

という、いわゆる分断思考に気づかない間になっていたのです。
(恐ろしいのは、食べ物でそう考えてしまうと
他にもその考え方が派生していってしまうのです…!)

そのような状態の私は
「頭で食べる」
ということをしてしまっていました。
もちろん、食べることを味わっていましたし、
楽しんでいたつもりでした。
でも本来の食の在り方
「心で食べる(4次元)」
「魂で食べる(5次元)」
になっていなかったように、今となっては思います。

もうこれを機に、
完全に肉を食べないという考え方を
改めようと思いました。

どんな環境をたどってやってきた食材かはわからない
それでも大切にして、すべて受け入れようという姿勢で生きたいと思った

今回の私の経験が、
皆さんにも、何らかの形で
参考になれば幸いです。

(おわり)


現在も良い人生・生活を送る上で、
「何をどう食べるか」は今も気を付けています。
今後も何か食に関する発信をしていけたらと思うので、
また巡り合ったときにはご覧くださいね。


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