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「正義」の話

「正義の味方」といえば幼い頃からウルトラマンと刷り込まれている緒方です。

今日は皆それぞれが持つ「正義」について自分の経験から学んだことを書きます。

自分は、塾を始める少し前から昨年の11月まで自分が通っていた大学のサークルの部長をしていました。

コロナ禍ど真ん中に部長に就任したため、サークル自体の活動はほぼ全て停止の状態で主な仕事の内容は大学との事務関係の折衝やサークル内の維持管理がメインでした。

その中でも年間を通して1番考えたのが大学との調整役としてサークル内の意見と大学側の意見のバランスをとることでした。

サークル活動が制限されているわけですから当然部員からは「活動をなんとか再開させたい、対外的なライブやイベントに出たい」という意見が出てきます、大学側からは熊本市のコロナウイルス感染症の警戒レベルが上がった時期とサークル活動再開の申請の提出時期が重なったこともあり「まだ活動再開は待って欲しい」との回答を出されました。

この時点で2つの「正義」が存在していて、なおかつそこにサークルを運営する側としての「正義」も出てくるわけですが三者それぞれがが主張しすぎてしまうと収拾がつかない事態になります。

結果として、大学の指示に従い直近での活動再開は断念したため一部サークル内からも批判の声が上がったりもしましたが、その意見も聞いた上で、ここで大学と揉めて今後の活動に支障をきたすことの方が得策ではないと判断することが自分の「正義」だったので最後の最後はそれを押し通しました。

なんとかサークル内でも自分の意見を理解していただくことができたため、その後は支障なく活動再開まで持っていけました。

自分の中の「正義」を信じて行動するのは悪いことではないと思います。

しかし誰かの「正義」は他の人の「悪」である可能性もあります。絶対に正しい「正義」は存在し得ないということをこの一件で骨の髄まで理解させられました。

コロナ禍の中で皆それぞれ主張するものがあると思いますが、それぞれに立場があり、「正義」があり、裏を返せば誰かの「悪」になってしまっている場合があります。

Twitterなどすぐに発信できるメディアがたくさんあるこの時代だからこそ、このことは自分にとっても大きな勉強になったし、多様な意見を受け入れやすくなったと思います。




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