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死ぬまで楽しむか、大人しく死ぬのを待つのか


ちょっとヘビーなタイトルになりましたが、最近考えることがあり、このタイトルで書いてみようと思いました。

85歳の母が最近二回立て続けに転倒し、顎を切って、強打しました。
ただ、骨折は全くなく、骨の丈夫さはよくわかりました。傷は2週間ほどで治っています。

しかし、この転倒によって歩くことにすっかり自信を
なくしてしまいました。
私は、安定性の高い杖をプレゼントし、自分の行きたい場所には行ってほしいと思っています。

ただ、これはあくまでも私の思い、であって
母のものではありません。
そのため、母はどう思っているのかを聞いてみました。

母は継母に育てられ、今でいう虐待まがいのことも
されていたと聞いています。
自分の言いたいことを言えば、ひどい仕打ちをされるため、自分の意見を言うことはできず、我慢の15年間ほどを過ごしています。

父は自由人だったので、そのおかげで母は結婚後は、
あまり我慢することない結婚生活を送っていました。
(ケンカはよくしていましたが)
その父が昨年亡くなり、多少の寂しさはあるものの、
世話をするべき人がいなくなったので、ようやく自分の人生を歩けると私は思っていましたし、母も映画を見に行ったり、週に一度は買い物とカフェに行くのを楽しみにしていました。

ただ、今回の転倒で少し自信をなくして外出を控えるようになっていました。

母は周囲に気を遣って、自分の思ったことをあまり
言わない人です。
そのため、「私は好きなことをして、楽しんで、
その結果怪我したり、事故にあって命を落とすようなことがあっても、それはそれで楽しんで死んだのだから、私は後悔はないよ。
危ないからと言って、じーっとやりたいこともやらずに死ぬのを待つだけ、っていうのは嫌だな。お母さんよりもずっとよろよろと歩いているお年寄りも、たくさんいるけどね。
ただ、お母さんがどう思うかは、わからないけど」

というように話しました。

すると、母はパッと明るい顔になって、
「そうよね。やっぱり行きたいかも」と言ったので、
気を付けるべき箇所を伝えると、杖があるから大丈夫かも・・・
と最後は言っていました。

人間やがて自分の足で歩けなくなる日も来るのかもしれません。
命が尽きるのが先か、歩けなくなるのが先か、はわかりませんが、まだ歩けるのであれば、どう過ごしていきたいのか、というのはそれぞれ考えが分かれるでしょう。
でも大事なことは、「自分がどうしたいのか」であり、「それを貫くことができるのか」だと今回のことで、思いました。

*****

自立をしていないと、なかなか自分の意見や考えを押し通すことはできません。
自立とは、「精神的自立」であり、それは「自分の考えを持ち、それを実行できること」だな、と感じています。

誰かの言うとおりにすれば、確かに楽な部分もありますが、自分の気持ちは抑えないといけなくなります。
それはきっといつか後悔するし、我慢も限界になる日が来るのではないか、と思います。
何より、我慢をすることで健康を害することが、怖いなと思うのです。

「もう今まで苦労も我慢もいっぱいしてきたんだから、我慢はしなくていいのよ。
お母さんの好きなように生きたらいいんだから」
とも伝えました。
もちろん、度々会って私ができること、伝えられることは伝えたいな、と思っています。

母は今はその他は元気ですが、やがて別れが来る日が
必ずやってきます。
その時に、我慢ばかりしてきた人生ではなく、「楽しかった」と思って、旅立ってほしいと思っているのです。
そのためには、母に「お母さんはどうしたいの?」と言うことを、聞いてあげることが、一番大事ではないか、と思っています。

父には、まだまだ私はできることがあった、と後悔の念もあるので、母には後悔を残さないようにしたい、と思っています。

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