幸福を追い求めること
私の言いたいことは全て前の投稿に言い尽くされているので、正直もう書くことはありません。
と言いたいところですが、それではつまらないので今回は「幸福を追い求めること」というテーマについて書いてみたいと思います。
私は、昔から、物心ついたときから、本を読むのが好きでした。
純文学、哲学、宗教、自己啓発、精神世界などの分野の本を好んで読んできました。
なぜそのような分野が好きなのかと問われてもチャン・ドンゴンのように「チュキダカラ」としか言えないのですが、改めて考えてみると
「幸せになりたいから」
「自分より幸福について極めた賢者に幸福とは何かを教えてもらいたいから」
といった理由があったのだと思います。
そんな背景はともかく、私は今までに名著と呼ばれる本を片っ端から読んできました。
その中で「幸福」になるために有益だと思われる言葉に数多く出会いました。
「今に集中しなさい」
「足るを知りなさい」
「ポジティブな思考を持つ者にはポジティブなものがやって来る」
「幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ」
「与えることが幸せへの鍵である」
などなど。
確かにこれらはその通りだと思うものではあります。
しかし、どれも一時的なその場凌ぎにしか私の眼には見えませんでした。
たとえば、「今に集中しなさい」。
これは最近流行りのマインドフルネスにも通ずるものですが、私も長年実践してきました。
この教えを知った直後に、日常生活の中でこの教えを忘れないようにするため、私はスマホの待ち受け画面に「今に集中せよ」という文字を書き込みました。(その後、友人に待ち受け画面を見られて恥ずかしかったので、英語で「Live in the present!」と書いてお洒落度を少しアップさせたりもしました)
初めのうちは、今に集中していると悩んでいることなどを忘れられて、心地がよかったのですが、暫くしてある種の息苦しさを感じ始めました。
常に「今を生きねば」という強迫観念に駆られ始めたのです。
ちょっとでも今目の前にあることから気が逸れているなと感じることがあると、罪悪感を感じるようになったのです。
これでは、全く心の「安らぎ」を感じることができないばかりか、明らかに「幸福」になるという当初の目標から遠ざかっています。
これは一つの例ですが、このような経験を数多くしてきました。
悟りといっては大袈裟ですが、ある日私は気づいたのです。
「幸福を得るために幸福を追い求めることをやめなければならない」と。
そして、「この考えにすらも執着してはならない」と。
あなたは「幸福」を求めるという行為それ自体によって「不幸」を招いていませんか。
そのスパイラルから抜け出したくありませんか。
個人的に私へメッセージを送りたい方、仕事依頼はこちらから。(成島)