見出し画像

桜咲く山里に村人は帰れるのか(上)3000本植樹 帰村への執念はなぜ

 2017年4月23日、私はサクラの花がほころび始めた福島県飯舘村を訪れた。標高約500メートル、阿武隈山地の高原の村である。

除染され土が入れ替えられた田畑の上でサクラがほころび始めた。(2017年4月23日 福島県飯舘村で)

 実はそのちょうど6年前、2011年4月22日にも、私は同じ村にいた。30キロ以上離れた福島第一原発から飛来した放射性物質の汚染のため、全村民約6500人に避難命令が出た日だった。満開のサクラの下、避難のバスに乗る村人の行列をあちこちで見た。道路には自衛隊や機動隊の車両が行き交い、戦時のようだった。

 放射性物質は目に見えない。風景は何一つ変わらない。なのに故郷を離れなければならない。厳しい冬の間、待ちに待っただろう春の日なのに、村人たちに笑顔はなかった。残酷な風景だった。

 それ以来、この村に何度取材に来たのか、もう数え切れなくなった。「日本のふるさと」を絵に描いたような美しい村に、私は心を奪われた。四季ごとにやってきては無人の集落や山野を歩き回り、その自然の美しさを記録した「福島 飯舘村の四季」(双葉社)という写真集まで出した。

 その避難指示が、2017年3月31日で解除された(村南部の『長泥』集落は除く)。「除染しましたから、帰っていいですよ」という国の指示だ。6年ぶりに故郷に戻る許可が出た。

 そんなおり「復興桜まつり」の知らせが届いた。

 村役場の行事ではない。一人の村人が植えた3000本の桜だという。

「今春は待ちに待った避難解除!帰村を歓迎する三千本の桜が華やかに咲き乱れます。食べて飲んで 歌って踊って 皆で帰村を祝いましょう!」

  喜びがはじけるような文面に私は惹きつけられた。そしてその村人、会田征男さん(73)に会って話を聞きたくなった。

 私は村人が避難して無人になった村の姿ばかり見てきた。自動車は雑草に埋もれ、家や牛舎は朽ち始めていた。

 村人は避難先から帰ってきたのだろうか。原発事故前の生活を取り戻したのだろうか。それを知りたかったのだ。

 昨年から今年にかけて、政府は飯館村だけでなく、南相馬市小高区、浪江町、富岡町など、かつての20キロ圏内(警戒区域=重い汚染のための立入禁止区域)の避難指示を解除し始めた。「除染が済んだので帰って結構です」という意思表示だ。そうした「ふるさと」へ人々は戻るのか。2017年4月22日から28日、私はそんな町村をひとつずつ訪ねて回った。


ここから先は

5,343字 / 28画像

¥ 500

私は読者のみなさんの購入と寄付でフクシマ取材の旅費など経費をまかないます。サポートしてくだると取材にさらに出かけることができます。どうぞサポートしてください。