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日本語教育のあり方〜四象限で考える

政策の動き

ここ数年、日本語教育の政策的な動きが活発です。2019年に「日本語教育の推進に関する法律」(概要はこちら)が公布・施行され、その法律を踏まえた「日本語教育の推進に関する施策を総合的かつ効果的に推進するための基本的な方針」(概要はこちら)が2020年に閣議決定されました。
そして可決間近の「日本語教育の適正かつ確実な実施を図るための日本語教育機関の認定等に関する法律案」があります。また、政府全体としては、「外国人との共生社会の実現に向けたロードマップ」が2022年に閣議決定され、重点項目の一番目に日本語教育が挙げられました。人口減少→労働力不足や社会発展への対応→外国人受け入れ→強制の必要性→日本語教育という論理で話が進んでいます。

共生と日本語教育

これら一連の動きの中で、共生社会実現のために政策として日本語教育に取り組むことが重視されていますが、共生社会の実現と日本語教育がどのように関係するのかは十分に議論されていません。「日本語教育をやれば共生社会が実現する」「非母語話者が日本語ができるようになれば共生できる」と素朴に考えられているようにも見えます。ですが、この素朴な見方には、三つの点で問題があると思います。一つ目は、共生できない原因・理由をことばだけの問題に矮小化してしまうということです。ことばは、それを使う人、使われる社会との関係性の中で意味を持つものです。例えば日本語が十分にできない人がいたとしても、非言語の利用や仲介してくれる人の存在、テクノロジーの活用などがあれば、日本語は「問題」にはなりません。二つ目は、非母語話者の側だけに責任を負わせてしまうということです。そして三つ目は、ことばが通じないことが問題であり、ことばが通じさえすれば共生できるという思い込みです。ことばが通じる者同士でも争いや対立は普通に起きます。日本語教育の専門家としては、このような素朴な見方に乗ることなく、日本語教育と共生社会の実現にはどのような関係があるのかを分析的に捉え、それを実現するための政策を考えていく必要があると思います。

教育と政策

教育と政策の関連については、さまざまな分野で研究が行われており、膨大な知見があります。村上・橋野(2020)は、教育をその目的の性質によって表のような4つの見方で考えられるとしています。教育の目的を社会のためか個人のためかという縦軸と、教育そのものが目的となるのか、教育は手段でありその先に他の目的があるのかという横軸で整理した表です。

表:教育の性質

村上・橋野(2020)表1.1をもとに筆者改変

村上・橋野自身が「ただし、以上の4つの類型は、現にあるさまざまな教育をいずれか1つに分類できるということではなく、あくまでも理念型としての分類である(村上・橋野2020:22)」と述べているように、実際の教育がこの4つに明確に分類できるというものではなく、このような見方で教育を分析的に見ることができるという手がかりだと思います。そして、この表を参考にした上で、日本語教育の目的によってあり方を整理して図式化したものが「日本語教育の四象限」の図です。

日本語教育の四象限見取図

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