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私、日記、私、の日々~9月後半の読書記録「月刊サギサワ」

鷺沢萠さぎさわめぐむが好きだ。とっても好きだ!
わたしが初めて読んだのは、角川文庫から出ている鷺沢の短編集「海の鳥・空の魚」。この中に収録されている「指」という短編を読みたくなって、図書館で借りてきたのが始まりである。

わたしの読書記録アプリには、この本からスタートして、間を空けずに鷺沢作品ばかり登録されている日々が記録されている。
とはいえ、鷺沢作品を読んだことの無い人が多数だと思うので、簡単な略歴を紹介したい。

1968年、4人姉妹の末っ子として東京に生まれる。上智大学外国語学部ロシア語学科除籍。1987年に「川べりの道」で第64回文學界新人賞を受賞、女子大生小説家としてデビュー。後に父方の祖母が韓国人であることを執筆のための取材の途上で知る。これを契機に韓国(延世大学)へ留学をし、作品に新境地を開いた。

Wikipediaより引用

受賞歴もすごい。あまりにも多いのですべてについて書けないが「駆ける少年」で泉鏡花賞を受賞、「帰れぬ人びと」「葉桜の日」「ほんとうの夏」「君はこの国を好きか」で芥川賞候補になっている。

個人的に一番読みやすい、というか、受け入れやすい作品が「ウェルカム・ホーム!」だと思う。私がこの本を読んだのは2022年という令和になってしばらく経ってからだが、この本が出版されたのが2004年(平成16年)と知って驚いた。
「今は男も家事をする時代だよね」「家族なのに家事育児を手伝うって言う言い方はおかしいよね」とか言って、なんとな~く多様性をなぞってる人たちは、一旦この本を読んで落ち着いてほしい。

鷺沢はエッセイもめちゃくちゃ達者だと思う。「コマのおかあさん」「ナグネ・旅の途中」「私はそれを我慢できない」「ケナリも花、サクラも花」…たくさん読んでいたと思っていたけれど、今月手に取ったのはこちらの「月刊サギサワ」。

(奥付を見ると1997年の10月だった。26年前…!)

この本は、たまたま立ち寄った無印良品の「古紙になるはずだった本」という古本販売で出会った。100円だった。見つけた瞬間「うわああああ!まだ読んでない鷺沢のエッセイを見つけてしまった!!」と一人で大興奮した。

これは、1992年から1994年(あとがきによると著者が23歳から25歳)の間に連載されていたエッセイ…というか、ほぼ日記で、とにかく鷺沢がむちゃくちゃ忙しそうにしている様子が書かれている。

エッセイ、小説、翻訳といった作家業をこなしながら、鷺沢はこの間に韓国に留学しているのだから、それはそれは休む暇もないだろうと思う。

韓国に留学している理由については、略歴で触れてある通り自分のルーツが韓国にあると知ったからであって、「月刊サギサワ」でも、韓国の友人の話や、日本の編集者が韓国まで原稿を取りに来る話などがわんさかと出てくる。

このエッセイは、とにかく人が出てくるから、なんだかすっごく賑やかで、サギサワ姉さんが「こんなことがあったんだよォ~!」って、お酒を片手に語りかけてくれるような、そんなチャーミングな日記。

わたしは、エッセイや他の人の日記を読むのが好きで、その気持ちが年齢を重ねるにつれ、徐々に強くなっているなぁ、と感じている。

「なぜわたしはエッセイを求めてしまうのだろう?」いろんな人の本を読んだりnoteを読んだりしていて、毎日毎日、それが疑問だった。

これについて、2023年9月現在のわたしが導き出した答えは
「わたしはわたし以外の何者にもなれない、他の人の人生を歩むことが出来ないという事実を受容しはじめたから」だと思う。

わたしは小さい頃から、なぜか他人のことを「羨ましい」と思う能力に優れていた。あの子の家は裕福だからいいな、とか、あの子は細くて可愛くて、彼氏がいていいな、とか、そんな具合。プラスやマイナスが目に見えて表示されるわけではないのに「簡単に他人になりたがる」という思考があった。

他の人が書いたエッセイや日記を読んでいると、わたしが体験していないことを他の人が体験している。という事実がある。ただそこに事実があるというだけ。これはわたしじゃない別の人の話。~END~という感じ。

わたしにとっては、話し言葉よりも書き言葉のほうが、その受け取りがスムーズで、だからこそ、「他人」と「自分」の切り離し方を求めるように、エッセイを日々ちまちまと摂取しているのではないかと思うに至った。

だからこそ、わたしがエッセイや日記を書く時はとにかく自分の話ばかりしようと決めている。

でもね、なんでもかんでもエッセイで「さらけ出すぞ」とは思っていなくって、自分の話はする、自分の話はするけれども、本当にさらけだしてしまったら、自分が傷つくこともあるような気がしていて、しばらく、その「さらけ出したい欲」みたいなものを発酵させて、ちょっと美味しくなってきたかな?と思えるようになってきた頃に、提供したいな~と思う。
だって自分が一番大事だからさ…。

鷺沢作品の中で、わたしが一番の傑作だと思うと同時に、最も、心にずしんときたのが、この「私の話」である。
この本は、著者の私小説ともいうべき作品で、まさに鷺沢の「私の話」なのだ(この記事を読んで、鷺沢作品を読んでみたいなと感じてくれる人がいるならば、この「私の話」は最初に手をつけない方がいい、と個人的には思う)。

この中に、祖母の死に際に会いに行くシーンがあって、いまわの際の祖母との最後の会話が本当につらい。最後のお別れが迫っているからつらい、とかじゃない、これまでの人生を全部なかったことにされるような暴力的なつらさがある。それは、祖母の人生も著者の人生も。

この本も図書館で借りてきて読んだので手元にないのだけれど、このシーンの祖母のセリフだけは本当に思い出せるし、顔をぐちゃぐちゃにして泣きながら読んだことを覚えている。どういったセリフだったのかは、あえてここに書かない。

これを書いている時、彼女はかなり苦しかったんじゃないだろうか…と胸が締め付けられる思いがするし、繊細で才能豊かな彼女が、わざわざ書かなくてもいいことなんじゃないかな…と思ったことを覚えている

でも、作家としてどうしても書かないといけない話だったんだろうか。あのチャーミングな彼女はどこにいったんだろうか。お願いだから、鷺沢が、鷺沢自身のことを、その美しくて達者な文章で、自ら傷つけに向かわないでほしい。それでも、そうしてしまうのが作家という仕事なのだろうか。
わたしはそれが、すごく痛い。

鷺沢萠は、「私の話」を出版した数年後に、35歳で自死、この世を去っている。

わたし自身が35歳を迎えたときに思ったことは「あ~鷺沢と同じ年齢になっちゃったよ」だった。

そして、実体験として感じたことは、女性の35歳という年齢は心身にちょっとした「バグ」が起こりやすい年齢のような気がした。意識しすぎなのかもしれない。
でも、些細なバグで、なんだか生きている価値がないと感じてしまう日が、たまにあった。鷺沢もそうだったんだろうか。

対処したことのない、思いがけない大きなバグが起きてしまったんだろうか。そんなときはしばらく書くのをやめて誰かに甘えてほしかった。「ウェルカム・ホーム!」を読む限り、きっと自立して先進的な考えを持った聡明な女性だったのだろうなと思うから。

わたしがエッセイを書こうとするとき、鷺沢の「私の話」の、祖母との最後の会話の部分が、頭の片隅で明滅しているような気がする。

わたしは、これからも、わたしの話を書くと思う。

けれど、エッセイを書こうとする人は、繊細な魂を守る薄いベールを、そっと持ちあげるくらいの握力で自分のことを書くくらいがちょうどいいんじゃないかなぁ、とわたしが思っていることもまた、事実なのだ。

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