『キレる私をやめたい』を読んで

読んだ本:『キレる私をやめたい』
著者:田房永子
発売:竹書房
2016年7月7日発行
読了日2023年7月

実はこの本、読むは2回目である。
1度目はこの著者に興味があるので、著書をかたっぱしから読んでいたから。
2度目は自分の癇癪、他者へのキレ具合に辟易していたからである。
私のそれはなんと表現すれば良いのか難しい。
親しい人に見返りを求めてしまうのだ。
私、頑張ってあなたに合わせたんだから、あなたも私の欲求を聞いてよと。
著者のように、物に当たったり、人を殴ったり、他害をすることはない。
どちらかというと自傷に走る。
自傷といっても頭を打ち付けたり、体をかきむしったり、ハンガーで体を叩いたりと程度の軽いものだ。
イライラの解消の方向が自分に向かうものの、見合った自傷ができずにもやもやする。
私はビビリで痛いのも嫌いなので、どうしても刃物を用いての自傷ができない。
そのため希死念慮が湧いても、自死を実行できない。
ある意味助かっているが、メンタル的には大変だ。
話がずれた。
タイトルでは『キレる』とあるが、その状態は当書内で『ヒステリー』や『パニック』と表現されることもある。
そっちの方が私もしっくりくる。
私が(たぶん)はじめてヒステリーを起こした際、若い頃の母も父に対して、こういうことをしていたなと思い出した(たいてい父親が悪い)
自分のヒステリーをどうすればいいか藁にもすがる思いで当書を手に取った。
有効な方法として、ゲシュタルトセラピーが紹介されていた。
いろんなメンタル系の本を読んで、大抵、私もカウンセリング受けなきゃ根本的には解決できないんだろうな、という結論に落ち着く。
しかし、地元でこのセラピーを調べたところ、私にとってはお値段がゲシュタルトしていたので、多分受けないと思う。
カウンセリングが必要な人にとってはカウンセリング料が高すぎるという矛盾。
どうにかならないかな。
自分ができそうな部分で言えば、『状況と心』の部分だった。
例えば、『会社を辞めたい』が状況で『会社を辞めたいほど辛い』が心である。
人は大抵、状況に対して反応してしまう。
しかし、状況にあれこれ言われても辛いだけで、心を無視せず、心の側にアクセスされると楽になる、というものである。
例えの続きでいうと、こんなご時世に会社を辞めるのは大変だよ、と言うのは状況へのアクセス。
会社を辞めたいって思うほど辛いんだね、と言われると心にアクセスしていることになるのかもしれない。
(※状況への例えは当書に出てきたものの、心の側の例はなかったので私的解釈になります)
よく男女間で起こる、彼氏に話を聞いてもらいたいのに、求めてもいないアドバイスされてムカつく、彼女が困ってたからアドバイスしたら彼女が自分に対して怒った問題を想起させるなぁと思った。
共感してもらいたいだけの女性と解決したい男性のぶつかり合いである。
今まで対人間での、状況と心について述べてきたが、これを自分に対して行うことがヒステリー対策になるというものだった。
今の自分の心にピントを合わせる。
これがものすごく難しい。
自分で自分が何をどう感じているか、自分のことなのにわからない。
自分のことより周りの空気を読んで合わせてきたから。
もちろんTPOとかあったりするのでこれは一概に悪いことではないけれど、私の場合、安全安心の場であるはずの家でこうだったので、自分の感情が麻痺しまくっている。
我慢しまくりだとそりゃヒステリー起こすわなという感じである。
著者は有効打として『心にピントを合わせる』に加え『休む』と『自分を褒める』を挙げていた。
双方難しいし、即効性はない。
時間がかかる。
習慣付けるのが難しい。
しかも自然にできている人は自然にできている。
できない自分って一体…と辛くもなる。
そんな風になってしまう場所に生まれてしまったことを呪いかねない。
呪っている場合じゃない。
千里の道も一歩から。
今回も話があっちこっち行ったり、無駄に長く、まとまりもないけど、ちゃんと読感文かけて偉いな私。
お疲れ様でした。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?