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〈高校生の知的障害と発達障害〉類似点と相違点は?

保護者と接していると、話の流れで「発達障害と知的障害の違いはなんですか」と質問されたり、「我が子は発達障害だけれど知的障害ではありません」と断言されたりすることがたまにある。

そういったとき、教員はなにを感じ、どのような対応を取ればよいのだろうか。

もしかすると、発達障害と知的障害には明確な違いがあり、高校教員は知的障害に関してノータッチのためよくわからないと思っている教員もいるかもしれない。



しかし、実は軽度の知的障害(ボーダーラインを含めるとさらに多くなる)であれば、高校へ進学することは可能である。



その背景は別の機会に書くとして、今回はまず、発達障害と知的障害の混同されがちな点と、そこから見えてくる違い(両者の似て非なる点)について考えてみたい。



第一に混同されがちなものは、発達障害である限局性学習障害と知的障害だ。

これは違いがわかりやすい。

学習障害は〈聞く・話す・読む・書く・計算する・推論する〉という能力のうち、どれかひとつまたは複数において困難が生じるものである。

知的障害は〈聞く・話す・読む・書く・計算する・推論する〉という能力だけでなく、時間の概念やコミュニケーションなど、日常生活における全般的な行動にも困難が生じるものである。

たとえば、字の読み書きが苦手だと感じられる生徒がいたら、それ以外の日常生活はどうだろうかと観察してみる。

その結果、もし字の読み書きのみに困難が限定されるようなら学習障害(ディスクレシア)の可能性があり、日常生活で全般的に困難があるようなら知的障害の可能性があるということになる。

学習障害と知的障害は似て非なるものであり、混同されがちでも、両者が併存することはない。

そのためしっかりと観察していれば、明確な違いを見出すことができるだろう。



第二に混同されがちなものは、発達障害である自閉症スペクトラム障害と知的障害だ。

これは違いがすこしわかりづらい。

というのも、自閉症スペクトラムと知的障害はどちらも他人の気持ちに対する想像や共感が苦手で、コミュニケーションに困難を生じることがあるからだ。

細かく分類すると、自閉症スペクトラムならそれ以外に感覚過敏や感覚鈍麻といった特性があったり、もしくは知的能力が高い場合もあったりするのだが、必ずしも皆がそうであるとは限らない。


そのため、コミュニケーションに困難を生じるという点においては、自閉症スペクトラムも知的障害も、一見するとまったくおなじように感じられることがある。


具体例を挙げよう。

わたしは国語科の教員なので、授業中、些細な描写や比喩表現などを読み取りながら、登場人物の気持ちを想像したり登場人物の気持ちに寄り添ったりする過程が必要となる。

その際、あまり難易度が高くない内容でも、「なんで登場人物がこんな行動を取るのか全然わからない」「登場人物はバカなんじゃないの?」「この描写にそこまで深い意味があるなんて思えない」など、まるで登場人物を突き放すかのように理解のない反応を得ることがある。

実は、自閉症スペクトラムと知的障害は、この反応が似通っているのだ。


しかし見極めるポイントもある。
あくまでもわたしの主観だが、両者の性質には、やや極端に書くならば次のような違いがあると思っている。


・自閉症スペクトラムは他人に興味がないから、気持ちを想像できず、寄り添うつもりもない。

・知的障害は他人に興味がないわけではないが、気持ちを想像することが難しく、寄り添いかたもよくわからない。



つまり〈他人に対する興味の有無〉という点において違いがあるのである。

登場人物の気持ちに関する説明を聞いて、やはりまったく理解を示さなければ自閉症スペクトラム、「そういうことかあ」となんとなく理解を示そうとすれば知的障害といえるかもしれない。

こうして見ると、自閉症スペクトラムと知的障害の違いは時として曖昧で、わかりづらくもあるということに頷けるのではないだろうか。



※自閉症スペクトラムと知的障害の生徒全員がこのような反応を取るわけでは決してない。ここに挙げた例は、あくまでも、反応が似通っていて区別がつきにくいタイプの自閉症スペクトラムと知的障害の生徒に関するものであることを明記しておきたい。



さて、上記を踏まえ、改めて考えたい。
そもそも発達障害と知的障害に、明確な違いはあるといえるのだろうか。



まず、日本では、発達障害と知的障害がそれぞれ別のものとして位置付けられている。

一方で、アメリカ精神医学会による国際的な診断基準『DSM-5』では、知的障害と発達障害がどちらもおなじ枠組みのなかへおさめられている。

つまり、知的障害は、自閉症スペクトラム障害・注意欠如多動性障害・限局性学習障害・発達性協調運動障害などとともに〈神経発達障害群〉として併記されているのである。

また、(学習障害以外の)発達障害と知的障害が併存することも珍しくない。



したがって発達障害と知的障害は、はっきりと線を引いたように明確な違いがあるともいえず、まったく別のものとして捉える必要はないのではないかとわたしは考えている。



ただ、たしかに発達障害と知的障害は診断名が異なるし、交付される手帳の種類も異なる。

※手帳について、発達障害は『精神障害者保健福祉手帳』が交付され、知的障害は『療育手帳』(自治体によって名称がさまざまで東京都の場合は『愛の手帳』)が交付される。

おのずと、接しかたも、支援の方法も、進路の状況(進学先や就職先など)も含め、教育現場における扱いは異なる。

それは事実であり、また、それが生徒のためでもあるとわたしは思っている。



最後に、冒頭の話を振り返ろう。

保護者から「発達障害と知的障害の違いはなんですか」と聞かれたら、教員は「高校に知的障害の生徒はいないからわからない」と割り切るのではなく、きちんと説明できなければならない。

また、もし保護者から「我が子は発達障害だけれど知的障害ではありません」と断言されたら、教員は安易に鵜呑みにしないほうがよいといえるかもしれない。

なぜなら、軽度の知的障害であれば高校へ進学することは可能であり、発達障害だけだと思っていたら実は知的障害でもあったというケースは実際に存在するからだ。

だからこそわたしたちは両者に明確な差をつけず、さまざまな可能性を考えながら、生徒のために、生徒の全体像を観察していく必要があるといえるだろう。

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