飛行機〈高校の教員〉

高校の国語科教員です。いままでは特に、さまざまな事情から学校生活や勉強などに対して苦手…

飛行機〈高校の教員〉

高校の国語科教員です。いままでは特に、さまざまな事情から学校生活や勉強などに対して苦手意識を持っている生徒と多く関わりを持ってきました。教員目線から見た仕事のこと、生徒や保護者のこと、国語科のことなどを書いていきます。

最近の記事

教員がほかの職種に比べて〈光り輝いている良い点〉とは?

もうすぐ新年度を迎える。 楽しみにしている教員もいるだろうが、また1年間が始まるのかと思ってため息をついている教員のほうがきっと多いだろう。 特に、今年度の生徒やクラスに深い思い入れのあった教員は、新年度の新しい生徒やクラスに切り替えることが難しく感じるかもしれない。 そんな事情はなくとも、とにかく春休みの穏やかな雰囲気が終わって慌ただしくなってしまうことに、まだ気持ちが追いつかないかもしれない。 わたしも春休みの終わりが見えてくると、焦燥感に駆られて落ち着かず、た

    • 〈高校の卒業式後〉3学年担当の教員はなにをしているか

      今年も3月前半に各高校で卒業式がおこなわれた。 長い春休みを迎えた卒業生たちは、きっといまごろ、すこしのさみしさと大きな解放感を抱いていることだろう。 それは卒業生を送り出した3学年担当の教員たちも、まったくおなじである。 生徒がいなくなって荷物もすべてなくなった教室は、びっくりするほど静かになる。 担任は座席をまだはっきりと覚えているので、誰もいない机に向かって、思わず名前を呼びたくなってしまうかもしれない。 ああ、もうあの子たちたちが毎日登校していた賑やかな日

      • 高校の教員が「この保護者は毒親だな」と見抜くポイント

        「毒親」という言葉を見聞きするようになってひさしい。 時代を遡ればマザコン、教育ママ、教育虐待、過保護、そして現代の毒親など、どれもおなじような存在を指していると考えられる。 要は我が子に圧力をかけて管理と支配(コントロール)をしようとする親のことである。 程度の差はあれども、そのような親はいつの時代にもどこの場所にも必ずいて、多くの子どもたちが苦しんできたため、時代の変化とともにさまざまな呼び名が生み出され、その都度多くの共感を得るのであろう。 きっとこれからも新た

        • 〈高校の3観点別評価〉試験の点数が1点だと成績はどうなる?

          今年度もまた学年末の成績をつける時期が来た。 1、2年生はこれから学年末試験が始まるころだと思うが、3年生は成績をつけ終えて判定会議も済んでいるころだろう。 学期末を迎えて授業がなくなると肩の荷が下りるものの、試験の作成と採点、そして成績をつけるまでの流れはいつも時間に追われて慌ただしく、肩が凝る。 特に学年末は1年間の総まとめでもあるため、確認事項も増えるし、いつも以上に細心の注意を払わなければならない。 さて、高校は昨年度(2022年度)から、下記の3観点別評価

        教員がほかの職種に比べて〈光り輝いている良い点〉とは?

          教員が生徒から恋愛感情を抱かれたら?その先へ進んだ実例は?

          教員に恋愛感情を抱く生徒がいる。 恋愛感情までいかなくとも、教員に憧れを抱く生徒はとても多い。 自分自身の学生時代を振り返ると、そういえばみんなから人気のある先生がいたなあとか、あの先生と会話をするとちょっとドキドキしたなあとか、思い出すひともいるのではないだろうか。 それはごく一般的な出来事だ。 しかし、大抵は憧れのまま終わるのに、そこへ何らかの要素が加わって気持ちが膨れ上がれば、恋愛感情に発展する。 何らかの要素とはさまざまなものが考えられるが、おそらくそのほとんど

          教員が生徒から恋愛感情を抱かれたら?その先へ進んだ実例は?

          「支援級は嫌だった」と口にする高校生たちの共通点

          前回の記事では、小中学生のころに支援級へ通っていた高校生たちに話を聞くと、支援級に対して「楽しかった」というプラスの感想を持っていることが多いという内容を書いた。 その理由は「授業がわかるようになって楽しかった」という極めて単純なものが大半を占めていた。 一方、今回の記事では、かなり少数ではあるが支援級に対してマイナスの感想を持っている生徒に焦点を絞り、わたしの経験から得た彼らの共通点を、以下のふたつに絞って書いていきたい。 ※ただ、おおまかにまとめたものなので必ずしも

          「支援級は嫌だった」と口にする高校生たちの共通点

          〈教員から支援級を勧められたら〉迷う保護者と、通った生徒の感想

          ある日、保護者は教員から、次のように伝えられたとする。 「お子さんに検査を受けさせて特別支援学級を検討したほうがいいかもしれません」 (以下は特別支援学級を「支援級」と書く) 教員の言葉を聞いた保護者のほとんどは、すぐに受け入れることができず、胸中に疑問や葛藤を抱くのではないだろうか。 もしかすると保護者によっては「本当にその必要があるのか?(教員に我が子の何がわかるのか?)」と感じるかもしれない。 たしかに教員は家族ではないので、生徒自身のことを誰よりも知っている

          〈教員から支援級を勧められたら〉迷う保護者と、通った生徒の感想

          〈実は教員になるつもりがない教育実習生〉に対する高校教員の本音

          学生は教育実習を行う前に、大学側から次のような注意をされることがある。 「教員になるつもりがないとしても、実習先ではそれを隠し、もし聞かれたら教員になるつもりですと言うようにしてください」 わたしもかつてそう伝えられた。 ふーん、まあそうか、と思ったものである。 なお、教員になるつもりがない教育実習生は、実のところたくさんいる。 そもそも制度上は、教育実習の条件として教員採用試験の受験が定められているわけではないため、教員になるつもりがない実習生がいてもまったく問題は

          〈実は教員になるつもりがない教育実習生〉に対する高校教員の本音

          「教員は常識がない」という批判は本当か?

          教員に対する批判としてよく聞く文言がある。  「教員は常識がない」 今回はこの文言について、わたしが感じる実態とそこから得た意見を、正直に書いてみたい。 まず「教員は常識がない」と言われる理由は何だろうか。 ひとつめは、大多数の教員が一般企業に勤めた経験を持たないことにより教員の仕事しか知らないという印象があるのではないかと考えられる。 教員免許は基本的に大学(または短大や大学院)へ通わなければ取得できないため、学生のころから将来を決め、卒業後は一途に勤めてきてい

          「教員は常識がない」という批判は本当か?

          運動部でキラキラと活躍する生徒が持つ〈裏の顔〉とは?

          汗を流して日々の練習に励み、顧問に対して「はい!」「ありがとうございました!」とさわやかに大きな声で返事をする運動部の生徒たち。 努力と団結力と青春を寄せ集めたようなその姿は、キラキラと輝いて見えるかもしれない。 でもそのキラキラはハリボテで、実は裏の顔がありそうだと思う人もいるだろう。 わたしも教員になる前はそう思っていた。 自分自身が運動部に所属してこなかったため、運動部でキラキラと活躍する子たちの実態をあまり知らなかった。 そのため彼らは裏表が激しくて、目上の

          運動部でキラキラと活躍する生徒が持つ〈裏の顔〉とは?

          〈注意を要する高校生〉保護者へ連絡する際に気をつけていること

          高校において「注意を要する生徒」と聞くとどのような行為が浮かぶだろうか。 たとえば飲酒や喫煙などの法に触れる行為、試験中のカンニングや授業中のスマホいじりなど大なり小なり学校内のルールに反する行為、それから提出物の管理ができなかったり落ち着きがなかったり、友人(恋人)間のトラブルを招いたり、深刻な悩みごとを抱えたりするような、特性や性格や環境などに起因する細々とした行為…… このように挙げると、何かしらの点で注意を要する生徒の数は、どんどん膨れあがっていく。 さて、そう

          〈注意を要する高校生〉保護者へ連絡する際に気をつけていること

          〈生徒がレジャーを理由に欠席〉高校教員は胸の内でどう思っているか?

          家族旅行などのレジャーを理由に学校を欠席したことはあるだろうか。 ひと昔前であれば御法度のような雰囲気が漂っていたのかもしれないが、最近はそうでもないため、過去に経験済みの生徒や保護者は多いかもしれない。 私もいままで高校教員を務めるなかで「明日はディズニーランドへ行くので欠席します」などという連絡が入ったことは何度かあるし、なかには「家族で海外旅行へいくので1週間欠席します」という長期欠席の連絡が入ったこともある。 さて、こういったレジャーを理由に欠席する生徒がいた場

          〈生徒がレジャーを理由に欠席〉高校教員は胸の内でどう思っているか?

          新年度の緊張感がほぐれて騒がしくなってきた授業の対応

          新年度を迎え、平常授業が始まってから、1ヶ月ほどが経過した。 当初は新たな環境で様子を見ていた生徒たちも、だんだん緊張感がほぐれ、本来の姿を出してくるころである。 ごく自然な流れではあるが、まだこの流れに慣れていない授業担当の教員などは、 「しっかりと話を聞いてくれる」 「静かでメリハリがある」 「今年度の担当クラスは授業しやすい」 などという当初の感想と異なり、すこしずつ騒がしくなってきたクラスの状況を目の当たりにして、おかしいな、ちょっと見誤ったかな、と気づき始め

          新年度の緊張感がほぐれて騒がしくなってきた授業の対応

          発達障害の生徒に対して、保護者すらも持ちがちな現実離れしたイメージ

          発達障害の生徒に対して、現実離れしたイメージを持たれていることがある。 しかも困ったことに、発達障害の当事者と触れ合ったことがないと認識している人だけでなく、発達障害の子を持つ保護者すらも、そのようなイメージを持つ人が多いのである。 以下に、ふたつのイメージをそれぞれ書いていく。 まずはひとつめ。 発達障害の生徒は光る才能を待っていて、大きな可能性を秘めている。 それはプログラミングだったりゲームだったりとさまざまで、本人がのめり込むほど興味を示す、特別な何かである

          発達障害の生徒に対して、保護者すらも持ちがちな現実離れしたイメージ

          〈高校生の知的障害と発達障害〉類似点と相違点は?

          保護者と接していると、話の流れで「発達障害と知的障害の違いはなんですか」と質問されたり、「我が子は発達障害だけれど知的障害ではありません」と断言されたりすることがたまにある。 そういったとき、教員はなにを感じ、どのような対応を取ればよいのだろうか。 もしかすると、発達障害と知的障害には明確な違いがあり、高校教員は知的障害に関してノータッチのためよくわからないと思っている教員もいるかもしれない。 しかし、実は軽度の知的障害(ボーダーラインを含めるとさらに多くなる)であれば

          〈高校生の知的障害と発達障害〉類似点と相違点は?

          「学校でうんちができますか?」からわかる高校生の現状

          授業中に手を挙げて「先生、お腹が痛いのでトイレに行ってきます」と言う生徒がいたら、クラスメイトはどのような反応をするだろうか。 びっくりする? 笑いに変えて明るく茶化す? それとも「うわあ」という表情で見る? 正解はそのどれでもない。 生徒にとって「学校でうんちをすることが恥ずかしい」という意識はないため、誰も何とも思わない素振りをするのだ。 だから手を挙げた生徒も堂々と席を立ってトイレへ行けるし、教室へ戻るまで長引いたとしても特に誰も反応しない。 なお、過敏性腸症

          「学校でうんちができますか?」からわかる高校生の現状