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日常の一つを楽しみに変えて

緊急事態宣言が発令される都道府県も数を増し、世の中はまた一気に自粛ムードが漂っている。テレワークもさらに推し進められていくことだろう。

楽しみにしていた、イベントはまた一つ、二つとなくなっていく。日々の生きる糧になっていたものは人々から失われつつある。

それでも日常は続く。なんのために生きているのか、これまで考えもしなかったことにも家にいるとつい考えが及んでしまうだろう。

起きて食べて仕事して寝る。また起きて食べて仕事しては寝る。まったくもって変わり映えしない日常。だけど今回に限っていえば状況はみな同じだ。せっかくだから楽しみながら生きていたい。日常の一つを容易く楽しみに変える方法がどこかに落ちていないだろうか。


引きこもりといえば、ゲームだろうか。浅はかだが、手っ取り早く楽しむならゲームはもってこいだ。だが私は、ふとした瞬間我に返ってしまい、何を一生懸命レベル上げなどをやっているんだという思いに襲われてしまう。ゲーム側というより、これは私側の問題だ。ゲームは悪くない。ゲームを純粋に楽しむことのできない、私に依るところが大きい。

では読書はどうだろうか。文字を読むのは苦にならない。いつまでも読んでいられる。小説よし、漫画よし、noteよし。だが私にとって読書はもう日常の一つであり、既に楽しみなので、楽しみを変える方法という意味では当てはまらない。

ではサブスクを観賞するというのはどうだろう。Netflixしかり、Huluしかり、U-NEXTしかり。今まで観ることができなかった名作を振り返る、大きなチャンスでもある。そうだ、平日も週末もサブスクに明け暮れることにしよう。だが何事も、物事には限界がある。ずっと観ていられる私のようなのもいるだろうが、人間の集中力にも自ずと限界はやってくる。私がゲームに対して抱くのと同様、ふと現実に引き戻されて、いたずらに時間を消費していると感じる方も少なくないだろう。


では、一体どうすればいとも容易く毎日を彩ることができるのだろうか。

そこで私は今一度日常、つまりいつもの一日に考えを巡らせてみた。朝起きて食べて………。そうだ、「」だ。意外にも早く見つかった。灯台下暗しとはこのことか。

私は普段ありがたいことに三食ありつけている。三食もというべきか、三食だけというべきか。そんなことはどちらでもよい。

私は忙殺される毎日にあって、食に関して意識したことはそれほどなかった。

ちょうど今くらいの時期に外で友達と食べたあのときのカップラーメンは格別だったとか、太る三大原因は唐揚げ、マヨネーズ、おばあちゃんだとか、朝はパン派かご飯派かとか、その程度だ。

だけど今は、「」という日常の一つを楽しみに変えるいい機会なのかもしれない。

暗がりにあった日常は、自身の意識を変えることによって光に照らされる。

食が既に楽しみという方にとっては何をいまさらと思われるかもしれないが、私は旅行の道中に名産物や美味しい料理に振り向いても、日常の「食」にしっかりと目を向けたことは今までなかった。

一日三食の人なら三回、二食なら二回、一食でも一回の楽しみがあることになる。職業柄三食以上食べる人なら、楽しみが溢れて止まらないだろう。

普段何気なく口に運んでいたそれをもっとちゃんと眺めるのもいい。

駅弁を買ったなら、何が入っているか予想しながら開けてみるのもいい。

弁当を作ってもらったなら、もっと味わって食べて、作ってもらった人に感謝を添えながら「これが美味しかった。」と感想を述べるのもいい。

私だったら、今までまじめに取り組んだことのなかった料理とやらに挑戦してみるのもいいかもしれない。

これは「食」を楽しみに変えるという、何の変哲もない私の試みだ。






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