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自分なりの価値観や“資源”の見つけ方を振り返ってみる①学んでインプットする

自分って⚪︎⚪︎なんだ!と気づく瞬間が、人生で一番といえるくらい好きだったりする。
例えば、自分はこんなに音楽が好きなんだ、とか、自分は素直に人に素敵なところを伝えるのが得意なんだ、とか。
前者は価値観、後者は自分の力、“資源”といえるだろう。

自分を見つけて(探すというより、すでにあるものを発見するという意味で、見つけるの方が私は正しいと思う)認識し、生かしていく旅は生涯続く。
価値観を知ることで自分の行動指針が定まるし、資源を見つけることでコミュニティでの自分の心地よい役割を見つけることができるからだ。
今回は、自身が普段どのようにそれらを認識しているかをあえて言語化し、アップデートさせていきたいと思う。読んでいる方の参考に少しでもなれば、嬉しい限りです。

今日はまず、学ぶことについて書いていこうと思う。

学ぶことは、全ての大前提だと思う。
社会情勢であったり、哲学だったり。小説を読むことだっていい。
美術館や博物館などへの外出、ご飯を食べにいくこと、友人と話すことだって学びになる。
学問とは「今まで知らなかった知識を教わり覚えること」(新明解国語辞典第六版より)だ。
新たな知識を得ることで、自分がそれについてどう思うか、考える機会になる。
知識と触れ合わなければ、自分の勝手な認識で物事を判断してしまうことになる。

私は、インターネットより本から学ぶことが好きだ。とくに図書館や本屋さんに行くと、興味のある内容の本が数冊あり、ページをめくったときに似たような内容が書かれてあると「これが重要なんだ」と理解が早くなる。
全ての本を真剣に読むと疲弊してしまうので、ざっとでも良い。
まず新たな知識と接触することが大きな一歩になると、私は思う。
そして、情報の総覧性が高い図書館では、歩いているだけで、無意識に気になっていたテーマに遭遇できる。
自分でも気づいていない興味関心に触れられるのはとても楽しいし、大きな気づきだ。

学びは、どこか見返せるところに保管しておくのが私流だ。
日記に書いたり、メモに残したり、こころに響いた言葉があれば、iPadを使ってペンで書いて保存したりしている。
といっても、私にはまだ見返す癖がついていない。ここは今後の課題だ。

最近気にかけているのは、内に籠る学び(自宅で学んで考えること)と外で触れる学びのどちらも取り入れることだ。
基本的に、考えることは孤独だ。
知識に基づいて、自分の思考と照らし合わせて考える作業は、ときには今までの自分の価値観を覆すこともある。
それが楽しいのだが、疲れる時もある。
そんなときに外に出ると、五感で学ぶことができるし、凝り固まった思考から解き放たれてリフレッシュにもなる。
文字からの情報より、言葉で聞いたり、実際に目で見るほうが、インプットの深度が深くなるとも思う。

そのうちの一つでもあるのが、次章で述べる「話すこと」だ。
続きはまた明日書こうと思います。
今日もお読みくださりありがとうございます。
また、ヘッダーの画像をお借りしています。ありがとうございます。
(いずれCanvaで作れるようになりたい・・・)