電撃喰らいガン萎え無力感学習犬Bとわたし(ヒルガードの心理学を読み始めた)

自分の無価値さ(人はみんな無価値)に絶望(そもそも自分に価値があると思い込むことが傲慢)し、何も積み上げてこなかった後悔と焦りから、とにかくなんか今より良くなりたいという「ゴールから逆算しておこなう長期的な努力」をしたことがない怠け者の雑魚特有のフワッとしたお気持ちにこれまで築きあげてきた(笑)すべてを賭けて「ヒルガードの心理学」というクッソ分厚い2万円弱する本を買い、家具と化してからおよそ3年。つい先日気まぐれでページをめくってみると楽しい。好みの情報がずらりと並んでいるあたり興味の矢印は正しい方向を向いてたみたいだ。家に届くやいなやその人骨を容易に破砕できそうな超ヘビー級のデラックスデカ書物を目の当たりにして戦意を完全に喪失させられた事を悔やむ。よい発想は浮かぶが形にまではしない、いつもそう。万全の準備をし終えた段階でモチベが尽き、物事に臨むことなくフェードアウトする。

見本のような美しいクラウチングスタートの姿勢をとり、いざ、位置について、よーい、スン……

チラ読みして目についたのが学習性無力感。「ここYouTubeかなんかで見たことあるー!」というやつだ。
概要全く違うけど要点かいつまんで紹介する。事実と異なりすぎてほぼ作り話。
ある実験。AB2匹の犬がおり、それぞれ隔離されている。どっちも電流を流されるんだけど犬Aは自分の意思で電流を止めることができ、ストップさせるとBに走ってる電流も止まる。BはAがBIRIBIRI装置を停止させるまでアンコントロールなストレスにさらされ続けるわけだ。それを何度か繰り返したのち、野に放つと犬Aはマイナスな刺激を受けた時それから逃れようとアクションを起こすが、理不尽にも電撃を浴びせ続けられた犬Bはヤな状況に置かれても自分にできることは何もないとばかりに為されるがままであった…という結果におわった。

制御不可能なダメージによって無力を学習してしまったんですね犬Bは。

この犬Bに酷く共感した。学習性無力感によって身動きが取れなかった経験が山ほどある。公園で謎のおっさんにどやされたとき、体育のサッカーでガチダッシュすれば届いたかもしれないボールが転がってきたとき、軽音楽部で活動もっとガチりたいと思ったとき…etc
スタコラ逃げればよかった、本気で走ってボールを追いかければよかった、部員全体の意識の低さに見切りを外でバンド組めばよかった。でもできなかった

父親に怒鳴られるのが日常茶飯事でデカい声の大人には逆らってはいけないと思い込んでいたから。デブの運動音痴で、全ての球技において突き指をし、自分が入ったチームは絶対に負ける。僕にとって体育とはチームメンバーにボロクソ言われ続ける時間だったから。そうして積み重なった自分への失望が、ぬるい環境に立ち向かうという発想を抱く気配などないまま足並みそろえてなあなぁで済ますという結末につながり、貴重な青春を妥協で終えてしまった。

もちろん「クソみてぇな環境のせいで僕ちゃんの人生は台無しだっちゃお!チャンチャン;;」といったような泣き言を言いたいわけではない。
何か新しいことに挑戦したり、悪い流れを変えようと思うとき生じる漠然とした不安の発生源が負け癖によるものであると知覚し、それに士気を削がれることなく正しい方向を向き見るべきものだけを見よという戒めである。

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