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石原慎太郎『わが人生の時の時』《砂に埋めた書架から》58冊目

 著者の石原慎太郎氏は、いくつもの顔を持っている。私はやはり、東京都知事時代の石原氏のイメージが強い。いわゆる政治家としての顔だ。自由民主党の議員で大臣を経験していた時代も覚えているし、忘れていたが、政治家を完全に引退する前は、日本維新の会、次世代の党に関わっていた。時代をうんと遡れば、石原氏は二十三歳の若さで第三十四回芥川龍之介賞を受賞している。彼がその『太陽の季節』という小説の作者であり「太陽族」という社会現象を生み出したこともいつの間にか自分の中に知識として入っていた。石原慎太郎といえば小説家であり、政治家であり、そして、俳優、石原裕次郎の兄である、というのが、私の中で最初に形成された認識のすべてだった。

 国会議員の頃からテレビに出ていたので、話しぶりや声を知っている。確固たる国家観を持っていて、外国に厳しい意見を言うことも知っている。一方で、会話の合間にときどき見せる少年のような笑顔も知っている。ヨットやマリンスポーツをたしなむ趣味人であり、人を惹き付ける話し上手な面も知っている。嫌う人も多い代わりに好きという人もまた多い、そんな魅力を醸し出す人物だが、私は肝心な石原氏の著作をひとつも読んだことがなかった。『太陽の季節』でさえも。

 2000年に飛鳥新社から福田和也『作家の値打ち』という本が発売されて話題になった。現役作家の作品に、文芸評論家の福田和也氏が点数を付けて評したブックガイドである。100点満点の採点で、96点の高評価の作品から20点以下の低評価の作品まで明記されていて、その採点結果に当時は物議を醸していた記憶がある。この本には石原氏の作品も俎上に載せられていて、『わが人生の時の時』という作品は、古井由吉『仮往生伝試文』、村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』と並んで、最高点の96点の評価だった。私はこのときも、へえー、とは思ったが、実際に手に取ることはしなかった。

 ところが令和元年の夏、『平成の名小説』という特集が組まれた「新潮」八月号別冊が発売されたとき、一番初めに載っている石原慎太郎の「落雷」という短編を読んで、私は自分がとことん愚鈍であったことに気付かされたのである。考えてみれば、これが初めて読む石原慎太郎の小説だった。私の中に、どれどれ、と試すような気持ちが不遜にもあったかも知れない。読み終えて、たいへん衝撃を受けた。短い作品なのにその中に描かれている緊迫感が尋常ではなかったのだ。落雷の恐ろしさがビリビリするくらい文章から伝わってきた。恐ろしさばかりでなく、死と隣り合わせの中で目撃した光の、この世のものとは思えない美しさが伝わってきたのだ。これは誰もが書けるような文章ではない。誰もが到達できる表現ではない。私は完全に打ちひしがれた。石原慎太郎はこんなにも小説が上手かったのか。そう思ってため息をついた。

 新潮別冊の解説によれば「落雷」という短編は、『わが人生の時の時』という1990年に新潮社から発売された本に収録されているという。『作家の値打ち』で最高点を付けられた作品であることを私はすぐに思い出した。このときになって、ようやくその本を手に取ってみたくなったのだ。だが、遅かった。『わが人生の時の時』はすでに絶版の扱いで書店から姿を消していた。愚鈍な私には当然の報いだったろう。実際、私は手に入れることを諦めていたのだ。石原氏が今年の二月に逝去され、そしてこの夏、追悼新装版として新潮文庫から復刊されるまでは。

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 前置きが長くなってしまった。

『わが人生の時の時』は、著者がこれまでに体験した珍しい出来事や知り合いから聞いた話、そして、わずかだが弟の裕次郎のことなどを、原稿用紙にして十枚前後から二十枚程度の掌編小説としてまとめた本である。とはいえ、ただの思い出話を集めたものではなく、死と隣り合わせの場面、魂の震えた瞬間、運命のいたずらとそのあとに訪れた奇跡、人智を超えた不思議な現象など、いずれも人生に降りかかった決定的な瞬間から生と死を見つめ直すような作品が並んでいるのである。『わが人生の時の時』というタイトルは、最初はあまりぴんとこない題名だと感じたのだが、掌編を次々と読み重ねていくうちに著者がこのタイトルにした意味が突如理解できる瞬間があった。誰もが体験できるわけではない、人生の時の時。その瞬間を文章に定着させることができたのは、石原慎太郎の文才があればこそだろう。収録された四十話のすべてが何かしら自分の心に痕を残した。これが石原文学か、と今更ながらの感慨に浸っている。

 ここで、特に感銘を受けた作品を紹介したいと思うが、どれも一息で読むことができる掌編なので、内容にはあまり触れないようにしたい。

 石原慎太郎はヨットマンの顔を持ち、ダイビングにも精通している。そのため、この本でも海を舞台にした話が多い。本当にどの作品も印象深いのだが、ヨットレースでナビゲーターを安易に請け負い、海上の真っ只中で迷子になってしまったときの焦燥を描いた「ナビゲーション」は、石原慎太郎の人間らしい部分が窺えて非常に興味深い短編だった。つい我が身に置き換えて読んでしまったのだが、自分ならとてもではないが耐えられない。ダイビングの話も珠玉の作品が多い。海中の洞窟で巨大な魚と出会う「南島のモロコ」の話も好きだが、「水中天井桟敷」で見せてくれた息を呑むような美しい海中の描写には陶然とした。とにかく小説の描写の上手さがずば抜けている。「骨折」は文字を読んでいるだけなのに痛みが真に迫ってくるので、私は終始顔をしかめていたし、「南の海で」は、父親として子供を死の危険に晒してしまっていることへの自責の心情が、ありありと伝わってくる名作だと思う。

 意外なのが、この本には怪談や超常現象を扱った掌編が多く収録されていることだ。ざっと数えたら四十編のうち十二編はそういった趣向の不思議な体験談で、言うなれば石原版『新耳袋』といった風情があるのだ。雨の夜にずぶ濡れの男を車に乗せた話、ひとだまを子供の頃に年中見ていたという男の話、死神に声をかけられた話、三途の川を見た話、裕次郎に落とし物を届けに訪れた女性の話……というように。私は『わが人生の時の時』という本を、一話目の「漂流」から最終話の「虹」までを収録順に読んだのだが、石原慎太郎は自らの人生において、そういった超常体験を馬鹿馬鹿しいと決めつけて無視するという選択はしなかったのだと思う。少年期に戦時を経験したことも大きいと思うが、常識を越えた出来事が人間の心に作用することの意味を、石原氏は感覚的に蔑ろにできるものではないと考えていたように思う。

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 著者の声や顔を知っているとき、文章を黙読していると、しばしばその黙読の声が著者自身の声で再生され、主人公も著者の姿でイメージしてしまうときがある。『わが人生の時の時』を読んでいると、やはりすべて石原慎太郎氏の声と姿で再生された。何だか、すっかり自分の身近の人になってしまった感覚である。

 石原氏は、芥川賞選考委員という顔も持っている。『石原慎太郎と日本の青春』という文藝春秋特別編集のムック本が出ていたので私はそれを買った。口絵のグラビアで目を引いたのは、政治家として写っているときの顔よりも、作家の後輩たちと一緒に写っているときの顔の方が明らかに楽しそうで魅力的だということだった。石原慎太郎の本質はやはり作家なのだと思う。そして文学をこよなく愛しているのだと思う。ムック本の最後には、石原氏が在籍していた頃の芥川賞全選評が掲載されている。私はこれからそれを読もうと思う。偲ぶ気持ちとともに。

2022/07/29


書籍 『わが人生の時の時』石原慎太郎 新潮文庫

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■参考書籍

『作家の値打ち』福田和也 飛鳥新社


『平成の名小説』新潮八月号別冊(2019) 新潮社


『石原慎太郎と日本の青春』文春ムック 文藝春秋

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 今回の書評(感想文)は新作ですので、いつもの【追記】はありません。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。




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