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「手紙~拝啓十五の君へ~」

子どもたちが通っていた中学校では、文化祭で三年生が、アンジェラ・アキの「手紙」を合唱するのが恒例だった。

クラス対抗のコンクール形式で、当日は保護者も大勢、来場する。

そのため、各クラスでは自主的に朝練や昼練が行われ、不良っぽい子や、日頃は少し孤立している子もみんな、この時だけは不思議と一致団結した。

中でも、指揮者とピアノ伴奏者は特に花形で、それぞれに最優秀賞が設けられていた。


そんなピアノ伴奏の大役を、私の娘が務めることになった。
娘には発達障害の特性があり、苦手なことや、できないことが多く、これまで何かの代表とは無縁だった。

それでも、五歳からはじめたピアノをきっかけに、たった一つ音楽だけは得意だった。
今回のピアノ伴奏も、音楽の担当教諭から指名されたのだという。

それは娘にとって、とても大きな出来事だった。
大袈裟に言えば、その後の人生を変えるほどの一大事だった。
「ピアノがうまいのね」
「凄いねー」
「こんなに上手だなんて、知らなかったよ」
娘の周りに人が集まり、これまであまり接点のなかった子たちも、好意的に話しかけてくれる。

人前でピアノを弾くことは、幼い頃から発表会で慣れている。
ピアノ教室の先生も大層、喜んで、全面的にフォローしてくれることになった。
娘は、家でも猛練習を続けた。そういう時の彼女の集中力は、計り知れないものがあった。


クラスは惜しくも優勝を逃したけれど、娘は「最優秀ピアノ賞」に選んでもらうことができた。

この経験をきっかけに娘は、自己肯定感を強め、明るく前向きになることができた。
それは、親である私にとっても、大きな成功体験として心に残った。

拝啓 この手紙 読んでいるあなたは 
どこで何をしているのだろう

十五の僕には 誰にも話せない 
悩みの種があるのです

未来の自分に宛てて書く手紙なら
きっと素直に打ち明けられるだろう

「手紙~拝啓十五の君へ~」


下の子の、小学校卒業が間近に迫った頃だった。
子どもが担任から、中学校の入学式の、新入生代表挨拶を引き受けてくれないか、と打診された。

打ち合わせや予行演習のために、春休み中に数回、中学校へ出向く必要があるけれど、挨拶文自体はひな型があり、少し手を加えるだけで使えるということだった。

その話を聞いた時、私は咄嗟に、上の娘のピアノ伴奏の経験を思った。

抜擢されることで、息子もまた、自分に自信を持つことができるかも知れない。
現在の、からかわれたり、いじめられたりする立場から脱却できるのではないか――。

私はこの経験が、息子にとって、良い結果をもたらすと信じて疑わなかった。

今 負けそうで 泣きそうで 
消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を信じ 歩けばいいの?

ひとつしかない この胸が
何度も ばらばらに割れて
苦しい中で 今を生きている

「手紙~拝啓十五の君へ~」

ところが今回は、そう単純ではなかった。

入学式当日、新入生代表として名を呼ばれ、登壇し、挨拶文を読み上げる息子。

式典の後、私は、たちまち顔見知りの保護者たちに取り囲まれた。
「新入生代表て、どうやって決まったの?」
「何か、公平な試験があったの?」
「うちは何も、聞いてないんだけど」
なぜ、特段目立たないあの子が、あんな華々しい役目に抜擢されたのか、ということらしい。

新入生代表挨拶のもたらした結果は、私の予想をはるかに超えていた。

入学後、息子は同級生からも、当日列席していた上級生からも、手酷くいじられ、いつまでも執拗にからかわれた。



何かに秀でたり、表彰されたりすることは、ともすれば僻みや妬みの格好の的となる。
中学生たちの心は荒んでいて、少しでも目立つものは、引きずり下ろされた。

それはたぶん、親の言動を反映していたのだろう。過度に競争を強いられ、人を蹴落としてでも上位に立て、と叱咤され続けた心の歪みだったのだろう。

二重、三重に、私は甘かった。
入学式での晴れ舞台をきっかけに、皮肉なことに息子の中学校生活は、とても辛いものになった。

拝啓 ありがとう 
十五のあなたに
伝えたい事があるのです

自分とは何で どこへ向かうべきか 
問い続ければ見えてくる

荒れた青春の海は厳しいけれど
明日の岸辺へと 夢の舟よ進め

「手紙~拝啓十五の君へ~」

私は遠い昔の、自分が中学生だった頃を思い出した。
当時は、生徒会長も副会長も、クラス委員や班長までも、男子が務めるのが当然という風潮があった。

ところがどういう訳か私は、女子でたった一人、担任から指名されて、断ることも、逃げることもできなくなっていた。
必然的にクラスで浮いてしまい、女子全体から嫌われて、手酷い仲間ハズレにあうことになった。

一方で、リーダーの男子生徒は信望が厚く、誰からも慕われ、快活に学生生活を謳歌していた。


私のその記憶が、判断を誤らせたのだろう。
結局私は、自分と同じ傷みを息子に負わせながら、彼が男子だからという理由だけで、本質を見逃した。

当時のいじめはとても陰湿で、かつ巧妙だった。そして愚かな私は、彼の本当の辛さに、とうとう気付くことができなかった。

それでも息子は、中学三年間を通して、学校へ行きたくないとは一度も言わなかった。

三年生の文化祭では、同じように「手紙」を合唱した。彼は舞台の端で、それでもクラスの一員として一生懸命、歌っていた。

その代わり、すべての憎悪は私に向けられ、家庭内での激しい暴言と暴力は、彼が大学進学で家を出るまで続いた。

今 負けないで 泣かないで 
消えてしまいそうな時は
自分の声を信じ 歩けばいいの

大人の僕も
傷ついて眠れない夜はあるけど
苦くて甘い 今を生きている

いつの時代も
悲しみを避けては通れないけれど
笑顔を見せて 今を生きていこう

拝啓 この手紙 読んでいるあなたが
幸せな事を願います

「手紙~拝啓十五の君へ~」

娘も、息子も、もちろん私も、もうとうに十五歳ではなくなった。

彼らと私との関係も、年月を経て少しずつ、変化してきた。

そうして今、私たちは「苦くて甘い今を生きる」大人になった。


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