#1 神武から推古まで【日本古代史のすゝめ】【神話→歴史】
あなたが最初に習った天皇は誰でしたか?
私の場合は推古天皇でした。
ひょっとすると、継体天皇や欽明天皇が最初という方もいるかもしれませんが、詳しく扱うのは推古天皇からだと思います。
ところが、実は推古天皇は第33代の天皇なのです。
最初に習う天皇が33代目ってどういうことだよ、って小学生のころの僕は思いました。
当時はスマホも持たず、インターネットにアクセスする能力もなかったものです。教科書のツギハギの系譜を頼りに紙に天皇の系譜を書いていきました。
高校は世界史を選択したものですから、ついに推古天皇以前の天皇の存在に触れる機会は訪れませんでした。
しかし、世界史という科目は「建国」を重要視する学問であるので、自然と日本の建国期への関心も高まることになりました。
そうして、独学で日本古代史を調べていったわけですが、それはそれは困難の連続でした。
初めにいきついた壁は、古代の人物には名前が複数あるということです。
例えば、継体天皇という天皇にはヲホド大王という別名も存在します。
これにより、サイトや書籍によって呼び方が異なり、理解不能に陥ったのです。
次に行きついた壁は、年代観が確定していないことです。
どういうことかというと、ある天皇が何世紀に生きていたのかということが、不確定なのです。
したがって、自分が今、何世紀のことについて調べているのかが分からなくなり、考えれば考えるほど理解不能になっていったのです。
そういった壁に当たる人を少しでも減らすために、この記事では古代史の年代観について初心者向けに解説していきます。
日本の古代史に興味がある人の手助けになれれば嬉しく思います。
古墳時代の天皇たち
まずは、第33代推古天皇に至るまでの歴代天皇を見ていくことにしましょう。(在位期間と享年は主に『日本書紀』より)
初代 神武天皇 在位BC660~BC585 享年127
2代 綏靖天皇 在位BC581~BC549 享年84
3代 安寧天皇 在位BC548~BC511 享年67
4代 懿徳天皇 在位BC510~BC477 享年77
5代 孝昭天皇 在位BC475~BC393 享年114
6代 孝安天皇 在位BC392~BC291 享年137
7代 孝霊天皇 在位BC290~BC215 享年128
8代 孝元天皇 在位BC214~BC158 享年116
9代 開化天皇 在位BC157~BC98 享年111
10代 崇神天皇 在位BC97~BC30 享年119
11代 垂仁天皇 在位BC29~70 享年139
12代 景行天皇 在位71~130 享年143
13代 成務天皇 在位131~190 享年107
14代 仲哀天皇 在位192~200 享年53
摂政 神功皇后 在位201~269 享年100
15代 応神天皇 在位270~310 享年111
16代 仁徳天皇 在位313~399 享年143
17代 履中天皇 在位400~405 享年70
18代 反正天皇 在位406~410 享年75
19代 允恭天皇 在位412~453 享年78
20代 安康天皇 在位454~456 享年56
21代 雄略天皇 在位457~479 享年62
22代 清寧天皇 在位480~484 享年41
23代 顕宗天皇 在位485~487 享年38
24代 仁賢天皇 在位488~498 享年50
25代 武烈天皇 在位499~506 享年18
26代 継体天皇 在位507~531 享年82
27代 安閑天皇 在位531~536 享年70
28代 宣化天皇 在位536~539 享年73
29代 欽明天皇 在位539~571 享年63
30代 敏達天皇 在位572~585 享年48
31代 用明天皇 在位585~587 享年41
32代 崇峻天皇 在位587~592 享年40
33代 推古天皇 在位592~628 享年75
ご覧の通り、『日本書紀』に基づけば、日本の建国は初代・神武天皇の即位年である紀元前660年となります。
…と言いたいところですが、学問的に流石にそれは否定されています。
第16代の仁徳天皇あたりまでの在位年数は非常に長く設定されており、『日本書紀』が編纂されるにあたって引き延ばされているということが定説となっています。
では、引き延ばされる前の実際の年代観はどのようなものだったのでしょうか?正確には未だ判明していませんが、目安となるものを提示します。
①『古事記』の崩年干支
日本の正史として編纂された『日本書紀』とは異なり、物語調で作られた『古事記』には年号が記されていません。
しかしながら、数名の天皇に限っていえば、その崩年干支(没年)が記されています。
その記載方法は干支を用いており、60年で一周する暦法であるため、年代の絞り込みに有用な存在となっています。
(以下、『古事記』に記載された天皇の崩年干支)
10代 崇神天皇 没年258or318
13代 成務天皇 没年355
14代 仲哀天皇 没年362
15代 応神天皇 没年394
16代 仁徳天皇 没年427
17代 履中天皇 没年432
18代 反正天皇 没年437
19代 允恭天皇 没年454
21代 雄略天皇 没年489
26代 継体天皇 没年527
27代 安閑天皇 没年535
30代 敏達天皇 没年584
31代 用明天皇 没年587
32代 崇峻天皇 没年592
33代 推古天皇 没年628
先ほどの『日本書紀』では、
10代・崇神天皇の在位が、BC97~BC30
15代・応神天皇の在位が、270~310
21代・雄略天皇の在位が、457~479
30代・敏達天皇の在位が、572~585
でした。
これを見ると、より新しい年代の方が『古事記』と『日本書紀』のずれが少なく、過去にさかのぼるほど『日本書紀』の年代引き延ばしが激しいことが分かります。
ただし、『古事記』の崩年干支が正しいとする根拠は何もないということには注意が必要です。『古事記』の崩年干支はあくまで年代観を考える目安として捉えて下さい。
②磐井の乱と岩戸山古墳
年代観を考えるにあたっての鉄則は、新しい時代から復元することです。
新しい時代ほど残っている記録が多い傾向にあり、正確性が上がります。
というわけで、まずは古墳時代後期の事例です。
26代・継体天皇の時代(『日本書紀』によると527年)に、九州で筑紫君磐井という人物が反乱を起こします。
これが磐井の乱です。
筑紫君磐井は自身の古墳を生前に築造していたのですが、なんとその古墳の築造年代がかなり正確に推定されています。
それが、福岡県にある岩戸山古墳です。築造推定時期は6世紀前半(501~550)となっています。
そうです、『日本書紀』の年代と一致しているのです。
したがって、26代・継体天皇以降の時代は『日本書紀』の年代観がある程度信頼できるとして、継体天皇からは教科書に載ることが多くなっています。
③百舌鳥・古市古墳群と倭の五王
続いて、継体天皇以前の、古墳時代中期の年代観を探ります。
この辺りから理解が難しくなっていきますが、頭を整理してついて来てください。
「百舌鳥・古市古墳群」とは、2019年に世界遺産登録された大阪府にある古墳の集まりです。
日本一デカいことで有名な仁徳天皇陵(大仙古墳)もこれに含まれます。
今、仁徳天皇陵と書いた通り、「百舌鳥・古市古墳群」には古墳時代の天皇が多く埋葬されていることが分かっています。
よって、その古墳の築造時期を科学的に推定することにより、天皇の在位期間が特定可能なのです。
しかし、ここで大きな問題が発生しました。
天皇の在位順番と、古墳の築造順番が一致しなかったのです。
これに関しては、歴史学者・考古学者の間でも意見が一致していない問題ですので、素人の私には詳しいことは分かりません。
ただ、少なくとも、15代・応神天皇と16代・仁徳天皇が5世紀前半(401~450)に在位していたことは確実視されています。
また、この時代は倭が中華帝国に朝貢していた記事が中国側文献に記録されている、いわゆる「倭の五王」の時代とも重なります。
当時の中国南北朝の南朝・宋に向けて、讃、珍、済、興、武の5名の倭王が朝貢したとされています。
讃が初めて朝貢したのが421年、武が最後に朝貢したのが478年です。
倭の五王が歴代天皇の誰にそれぞれ該当するのか、これまた学者間でも答えが出ていない問題です。
しかし、最後の武が21代・雄略天皇のことであるというのが現在定説となっています。
これは、埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣に記された、「ワカタケル大王」の名前が雄略天皇の生前の名前であると『日本書紀』と整合が見られたからです。
そして、鉄剣に記された干支から、製造年が471年と推定され、「倭王武=雄略天皇=ワカタケル大王」が定説となりました。
したがって、「百舌鳥・古市古墳群」と「倭の五王」から、15代・応神天皇と16代・仁徳天皇が5世紀前半、17代・履中天皇から21代・雄略天皇までが5世紀後半に在位していたことが推定出来ます。
④空白の4世紀
ここまでの年代観を整理すると、
15代・応神天皇~16代・仁徳天皇 5世紀前半(401~450)
17代・履中天皇~21代・雄略天皇 5世紀後半(451~500)
22代・清寧天皇~25代・武烈天皇 6世紀初頭(501~525)
26代・継体天皇~29代・欽明天皇 6世紀中頃(526~575)
30代 敏達天皇 572~585
31代 用明天皇 585~587
32代 崇峻天皇 587~592
33代 推古天皇 592~628
このようになります。
さて、ここからが古代史の最大の難関です。
日本古代史において、「空白の4世紀」という言葉があります。
これは、中華帝国の文献に4世紀の倭の記録がないことを意味しています。
したがって、この時代の年代観を特定するには、考古学的研究と朝鮮半島の史料を頼るしかないのです。
しかし、更に厄介なことに、朝鮮の最も古い歴史書である『三国史記』の成立は1145年であり、時代が新しすぎる、『日本書紀』からの転用が見られるなど、信憑性が薄いものとなっています。
そんななか、最も史料的価値の高いのが「好太王碑文」です。
高句麗の広開土王が製造させたと伝わる碑文であり、中国満州地方に現存しています。
ここには、391年~404年にかけて、倭が新羅の王都を陥落させ、新羅と百済を従属させたため、高句麗と戦争になったと記されています。
最終的には高句麗が勝利したようですが、問題はそのときの倭王が誰なのかということです。
『日本書紀』で初めて朝鮮への出兵記録が見えるのは神功皇后の摂政期です。この記録では神功皇后は新羅王都を陥落させており、似た内容のようにも思えます。
しかし、神功皇后には神話的記述も多く、『日本書紀』の年代設定的にも明らかに卑弥呼になぞれえて創作されたものと考えられます。
卑弥呼の年代が180頃~250頃、『日本書紀』の神功皇后の在位が201~269です。
そのため、学術的には神功皇后は卑弥呼をモチーフに創作または誇張された女帝であるというのが定説となっています。
ただし、『日本書紀』での朝鮮派兵の記録は神功皇后(もし創作であれば、夫である14代・仲哀天皇の時代に含まれる)、15代・応神天皇がほとんどです。
よって、「好太王碑文」頃である4世紀後半には、
14代・仲哀天皇と15代・応神天皇の在位期間があったと推定できます。
続いて、考古学的研究からみる年代観ですが、4世紀には前方後円墳が全国に広がりを見せたことが分かっています。
これを『日本書紀』と照らし合わせると、13代・景行天皇の九州征討、同時期のヤマトタケルの東国征伐が適合します。
したがって、13代・景行天皇から14代・成務天皇は4世紀に在位していたと推定できます。
⑤邪馬台国とヤマト王権
3世紀には皆さんご存じ、邪馬台国があります。
卑弥呼の最初の朝貢が238年、壱与(台与)の最後の朝貢が266年です。
古代史の永遠のテーマである、邪馬台国畿内説VS九州説は今回は置いておきます。
それよりももっと重要なのが、「邪馬台国はヤマト王権なのか」です。
畿内説の方が根拠とする奈良の箸墓古墳は、『日本書紀』によると10代・崇神天皇のころの皇女・百襲姫のものとされます。
それであれば、10代・崇神天皇は3世紀の人物ということになります。
① 邪馬台国=ヤマト王権(既にいずれかの天皇の在位期間)
② 邪馬台国→ヤマト王権(ヤマト王権成立前)
③ 邪馬台国≠ヤマト王権、既に成立(邪馬台国はヤマト王権が並立)
④ 邪馬台国≠ヤマト王権、まだ未成立(邪馬台国滅ぶ→ヤマト王権)
上記の4パターンのうち、どれなのかは分かりません。
そのため、多くの人が自説に都合のいいように解釈しているのが現状です。
よって、独学でこの時代を学ぼうとする人は理解不能に陥るのです。
⑥欠史八代と「神武=崇神」説
2代・綏靖天皇から9代開化天皇までの8名の天皇は「欠史八代」と呼ばれています。
『日本書紀』および『古事記』に彼らに関する説話がほとんど記されていないためです。
(2代・綏靖天皇や7代・孝霊天皇には若干記されています)
系譜と血縁関係に関する記述のみとなっています。
このため、欠史八代の天皇は創作されたものであり、実在しないというのが定説となっています。
また、これに付随して語られるのが、「神武=崇神」説です。
これは、初代・神武天皇と10代・崇神天皇が同一人物であるとする説のことです。
2人に関する記述の類似性などから、かなりよく耳にする説となっています。
神武天皇以前、つまり建国以前の歴史は『日本書紀』や『古事記』には神話として記されています。
流石に神話を歴史としてそのまま飲み込むのは苦しいところがあるので、年代観の推定はここまでとします。
まとめ:古墳時代の年代観
①~⑦までを纏めると、次のようになります。
創作説もあり、年代観不明
初代 神武天皇
2代 綏靖天皇
3代 安寧天皇
4代 懿徳天皇
5代 孝昭天皇
6代 孝安天皇
7代 孝霊天皇
8代 孝元天皇
9代 開化天皇
3世紀?、4世紀?、邪馬台国と同時期?
10代 崇神天皇
11代 垂仁天皇
4世紀、古墳の広がりと朝鮮遠征
12代 景行天皇
13代 成務天皇
14代 仲哀天皇
摂政 神功皇后
5世紀、巨大古墳と倭の五王
5世紀前半
15代 応神天皇
16代 仁徳天皇
5世紀後半
17代 履中天皇
18代 反正天皇
19代 允恭天皇
20代 安康天皇
21代 雄略天皇
6世紀、飛鳥時代に繋がる時代
6世紀初頭
22代 清寧天皇
23代 顕宗天皇
24代 仁賢天皇
25代 武烈天皇
6世紀中頃
26代 継体天皇
27代 安閑天皇
28代 宣化天皇
29代 欽明天皇
6世紀末
30代 敏達天皇
31代 用明天皇
32代 崇峻天皇
33代 推古天皇
この年代観が目安として頭に入っていれば、日本の古代史について調べる際に理解不能に陥ることが格段に減るはずです。
あなたの古代史ライフのお役に立てたのであれば幸いです。
長い記事でしたが、以上になります。
最後まで読んでくださりありがとうございました!
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