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「イン・ザ・ハイツ」胸が熱くなり、ちょっと元気になる映画。ワシントンハイツ在住者の感想。

コロナによる隔離対策が始まった2020年3月以来、本当に多くの人がニューヨークを去っていきました。特に大打撃を受けたのはミュージカルシアター、演劇、音楽、飲食業、観光業関係者。

仕事がなければニューヨークの高すぎる家賃を払い続けるのも苦しく、そもそもニューヨークにいる意味そのものが喪失した状態が約1年半も続いたので、本人の意志に反してニューヨークを一時的にせよ去った人も多かった。

私の住むアパートからも多くの方々が引っ越し、空き室となった両隣と上の階の部屋のリノベーションが同時に始まりました。リノベーションといっても、単に家賃を値上げするための裏工作。壁板とクローゼットのドアを外し新しいものに替え、床にワックスを上塗りし、キッチンの戸棚を付け替える程度の超雑&お粗末工事です。

その工事の騒音&振動による頭痛に悩まされているここ数か月ですが(そんな簡易工事にやたら時間がかかるのもニューヨークあるある)、工事そのものの騒音だけでも辛いのに、それに加えて朝からラテン音楽をポータブルスピーカーでガンガンにかけながら、更にそれに負けじと怒鳴るような話声も加わり(本当にずーっと滞りなく話し続けているので、よくそこまで話すことがあるな、とそれはそれで感心する)、リモートワークにも支障をきたすほどなのです(静けさのせいで仕事ができない、とこないだ書いたばかりであれですが)。

どれだけ音が筒抜けか知らしめてやろうとこちらも壁にぴったりと付けて大音量で音楽をかけてみると、それを聞いて「おっといけない」と静かにするどころか、負けじとそれを上回る音量にあげてきたので、首をたれ椅子に座り真っ白な灰のごとく燃え尽きたあしたのジョーのように、敗北しました。相手の髪を恐怖で白髪にすることもなく。

そうです、ここはワシントンハイツ。
工事業者のみならず、家の中から、道端から、あちこちでラテン音楽が爆音でかかっているのがごく普通の世界。それを止めようとするなんて、蟻が地球の軌道を変えようと地面を押すようなもの。

そんなラテン系移民の多く住むマンハッタン北部にあるワシントンハイツを舞台にし、最優秀賞を含むトニー賞4冠とグラミー賞最優秀ミュージカルアルバム賞を受賞したミュージカルの傑作、「イン・ザ・ハイツ」が遂に映画化しました。

長年に渡る映画化権争奪戦(とハーヴィー・ワインスタイン問題などにも巻き込まれたり)の末、遂に完成したものの、今度はコロナで公開が一年延期となり、遂に遂に2021年6月(日本では7月)に公開されることになりました!ばんざい。

この「イン・ザ・ハイツ」、二年前に撮影部隊のコンテナ車(俳優の楽屋)がずらりと道の両脇に停まっていたのを毎日横目に見ており、一体どんな仕上がりになるのかとずっと楽しみにしていました。

そういえば、映画でも記録的に暑い夏という設定ですが、撮影のあった2019年の夏も観測史上に残る熱波が到来しており、特に地下道のダンスシーンの撮影日は、危険すぎる暑さなので外に出ないようにというお達しのあったほど。こんな異常な暑さの中、歌って踊って大丈夫なのか、と心配になったのを記憶しています。

本作の原作者であり、作詞作曲は勿論、製作にも携わったリン―マニュエル・ミランダは、今や「ハミルトン」という大ヒットミュージカルの原作者としても知られ、作詞作曲家、脚本家、俳優、さらにラッパーでありピューリッツア賞も受賞している才能の塊のような人です。そんな彼にとって「イン・ザ・ハイツ」は特別な思い入れのある処女作。

というのも、ミランダ氏自身がこの地域で育ったラテン系移民であり、ワシントンハイツで暮らす人々の夢と希望と共に生きてきた、まるで「イン・ザ・ハイツ」の主人公のような人なのです。

彼のこの地域にかける思い入れの強さはよく知られるところで、今ではハリウッドに大豪邸を構えるのも難なくできるであろうに、未だにワシントンハイツに住んでいるご近所さんでもあります。とはいえ、彼のアパートは、プライベートガーデン付き、ハドソン川を望む富裕層向け高級アパートですが。

(犬の散歩の際、毎度ミランダ氏を拝めないかと期待しつつ前を通り過ぎますが、芝生にさえ、「住人以外の立ち入り禁止」の札があり、毎度そこで用を足そうとする犬を阻止しようと引きずり回す私とは隔たる世界を感じずにはいられない。ちなみに、私の住むアパートは、映画「ジョーカー」でジョーカーの住んでいたアパートととてもよく似た感じです。ご察しください。)

前置きが長くなりましたが、待望の「イン・ザ・ハイツ」見ました。

毎日暮らすこの風景が舞台になっているということで、過剰に心が揺さぶられたのを抜きにしても、

ミュージカル好きにはたまらない素晴らしい音楽の数々、躍動感のあるダンスパフォーマンス、それを色々な角度から見せるカメラワーク、そしてそして何よりも、見る者の胸を熱くする物語そのものが素晴らしい。

夢を抱いてやってきたニューヨークで、思い描いていたものとは違う辛い現実にも、誇りを忘れずに生きてきた何世代もの移民たちの夢と生き様。それを支え守るワシントンハイツという家族のようなコミュニティー。

厳しい現実と、哀しみと、それに立ち向かおうとする力強さが、ラテン音楽の調べにのり強烈なインパクトで見る者の胸を揺さぶる。

そしてちょっと元気にしてくれる。

ラストシーンの歌は特に上出来で完璧。

「イン・ザ・ハイツ」、結局コロナで公開延期になってしまいましたが、2020年の大統領選挙戦直前に公開するために作られたような作品だな、と思いました。

トランプが廃止しようとしたDACA(幼少時に親に米国に連れて来られた不法移民を保護する制度)。約65万人もの「ドリーマー」と呼ばれる不法移民の子どもや若者たち。社会が不安定な時こそ、人は弱者や部外者を排除したり追い詰めたりしがちになるものですが、闇雲に他者を排除するような政策が支持されるような国は、誰にとっても決して生きやすい国とは言い難い(結局、弱者が他の弱者を排除して生き延びようとするしかないシステム自体に問題がある)。

自分の知らない誰か、遠い誰かだから攻撃も排除も躊躇なくできてしまうというものですが、そんな顔の見えないドリーマーたちの顔が見えてくる映画、それが「イン・ザ・ハイツ」です。

ところで、この映画を見て、今のワシントンハイツはもう変わってしまったよ、という人も多いようですが、ラテン系移民の強いコミュニティー性が薄れたということなのかも分かりませんが、

私にとっては、どのシーンもあまりにも「あるある」ばかりで、それだけで嬉しくなったり、じんときてしまいました。

スプレー缶で落書きをする若者(うちの犬と大の仲良しの近所の兄弟がまさに夜な夜なスプレー缶を持って出かけている)、公園で大音量で音楽をかけながらピクニック&パーティーをする人々、道端でドミノをするおっさんたち、アイスクリームトラックとピラグア(かき氷)カート、家に集まってディナーパーティーをしたり、まさにこれこそがワシントンハイツという印象そのままでした。

私のような部外者であるアジア系移民でも、コミュニティーの一部であると感じさせてくれる気さくでオープンなワシントンハイツ。

次にニューヨークへ旅行をする機会には、どうか是非、ワシントンハイツへも足を延ばしてみてください。Aトレインに乗って、175thストリート駅で下車をすると、そこがワシントンハイツです。

駅を降りてすぐ目の前にニナとベニーのいた公園。主人公のボッテガ(小さなスーパーストア)があるのは、175thストリートとAudubonアベニューの角。外観は違いますが実際にロケ地となった小さなボッテガがあり、そのはす向かいには、タクシー会社もあります。ニナのアパートは177thストリートのPinehurstアベニューと Havenアベニューの間にあります。

勿論、訪れる前に予習として「イン・ザ・ハイツ」を是非ご覧ください。

心が温かくなり、見た後ちょっと元気になっているようなとても良い映画です。


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