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世界で二番目に無礼なフランス人

こんにちは、こんばんは。
一月が行く、二月が逃げていき、三月もさっていき、もうすぐ四月も終わろうとしています。フランスは現在バカンスで、私の留学生活最後のバカンスです。最後だからと言ってこれと言ってやることはありませんが、残り約50日の留学生活、楽しんでいこうと思います。

今回テーマに上げたいのは、留学9が月目に入ってきずいた、私が日本人であること。について話していこうと思います。

日本人や日本と聞いてどのようなイメージがありますか?とフランス人にとうと、礼儀や、よく勉強する、ストイックなイメージがあるとよく言われます。日本にいるとその生活が当たり前であるため、私たちは外国人が感じるほどの感動を覚えることはないことはほとんどないでしょう。

しかし一歩足を踏み出して世界に出てみたところでその素晴らしさ、また、それを海外でやると、その礼儀正しさや相手を築かう精神が裏目に出て自分が傷ついてしまう場面もあるのではないのでしょうか。
私がこの留学生活で感じたことをいくつか紹介します。

①相手の気持ちや状況を察することができるのは日本人だけ?


自分の気持ちを察してくれる友達、家族はいますか?
なんとなくいやな雰囲気になった時はっきり言わずにも、大体あの人、こう思っているだろうな・・・。と察することはありますか?
例えば、しーんとしている雰囲気の時、くしゃみが出そうだけどこのタイミングでしてしまうとアウェイだよな・・・。とか、先生が喋っているから、この質問したいけど今手を挙げて質問したらこの説明を真剣に聞いている人に対して妨害になってしまうな・・・。などなど、私たち日本人の生活の中には自分、1個人よりも相手、集団のことを中心に考えることが多いような気がします。これは日本の「察する」文化に基づいたものだと考えます。
この「察する」という日本独自の文化、改めて振り返ってみるとすごい能力なのではないかと思いました。

例えば友達が落ち込んでいるときや気分が乗っていなさそうなときは、「私いまあまり元気ないんだよね」と言われなくても、その雰囲気やいつもとの違いを察してその子の気分が楽になるように自分のことを話すよりその子の話を聞いてあげることが多いのではないのでしょうか。
それによ一人で悩みを抱えるのではなく、察してくれるおかげで救われる人もいるかもしれません。

しかし逆の意味で考えてみると察してくれるのを期待して、自分からSOSを出すことができない人もいるかもしれません。
私が今日伝えたいのはここの部分です。ストレートに意見を言わなくても誰かが察してくれるのが当たり前の環境で生きている私たちにとって、自分の意見や考えをストレートに述べるということは、自由権の中に言論の自由があるのにもかかわらず、とてつもなく勇気がいることになっていると思います。

②世界で二番目に無礼なフランス人


私は現在フランスにいます。彼らフランス人はロシア人に次いで世界で二番目に無礼な人種であるといわれています。私が見た中で一番驚いたことは、レストランの店員とお客さんの喧嘩です。日本ではお客様は神様✨最高の
『お・も・て・な・し』を提供することが大切。なのでもし理不尽なクレーム客がいたとしても、店側は悪くないのも関わらず、すみません💦。と謝罪をすることがほとんどかもしれませんがフランスではそんなもんではありませんでした。最初は店の中で口論になっていたウエイトレスさんとお客さんがヒートアップして、店の外に出てきて道行く人が二度見していくほどの声の大きさでお互いに暴言を吐きながら大喧嘩をしていました。
また、バスや電車の中で、日本ではその場の雰囲気を察しておしゃべりをしたり電話をすることを躊躇する人が多いと思いますがバスや電車の中でも周りに人がいてもそんなことなど気にせず、大声で爆笑したり、電話をしたり、隣の席になった人と意気投合しておしゃべりをしたり。日本だったらいわゆるKYや自己中といわれることを気にせずする人が多いなと感じました。
確かに彼らは私たち日本人に比べると察する能力は低く、自分が思ったことは相手の利益、不利益にかかわらずストレートに述べ、どんなに仲がいい夫婦でさえももし自分の意見が間違っていてもそれが間違っていると証明されるまで、自分の意見を貫きます。なんならそれを言い合うのを楽しんでいるようにも見えます(笑)。彼らがもし日本で生活するとなった場合、自分の意見を言わない日本人を奇妙に思うかもしれませんし、この生活がとても窮屈に感じるかもしれません。

しかし、彼らフランス人の自分の意見を『はっきり言う』面でとてもいいなと思うこともあります。
私のクラスメイトは先生が説明している途中や、ともだちがプレゼンをしているの途中にもかかわらず、自分にわからないことがあれば手を挙げてそれについて納得がいくまでクラス全体で話し合うことや、先生が説明を吸うことがあります。それの行動が無礼というより、先に述べた日本人の(今聞いたら迷惑かな?)と、相手のことを思って質問することをあきらめるのではなく、わからに時点で質問し、それを解決する。一個人の意見をとても大切にされているような気がします。そのため彼らと話すときにいつも思うのが、話し上手だな。と思います。
なぜなら話の中でわからないことがあればそれが何なのか質問してきて、そこから会話が広がっていろんな話につながるからです。

まとめ

このテーマについて考えるきっかけになったのは、最近自分の生き方が日本人すぎる、つまり受け身な生活をしているんではないか。と、とても不安に感じ、楽しみたいのに楽しめない、自分の中での葛藤があったからです。
日本で18年間育ってきて、察することが得意な私はよく友達からも相談されるようになり、フランスでも相談されることがよくあり、いままで将来何をすればいいのか全く分からなかったが、今まで当たり前だったから気が付かなかった、日本独自の『察する』文化によって人の心情や本質を感じ取ることにたけている心理士に興味を持ったり、それについて調べたりしています。一方で自分の悩みや意見を述べるのが苦手な私はSOSサインを出すことが苦手で、なんでも自分一人でこなそうとしてしまいます。しかし、フランスという国、人に出会い、嫌なことはいや、助けてほしいときは助けてと、前よりはいえるようになってきたと思います。
「郷に入っては郷に従え」という言葉があるように、この9か月間で少しだけフランス人になれたのかな????

生まれ育った故郷の文化も、外から学んだ文化も両方を大事に、
自分をもっている芯のある女性になりたい。




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