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八百屋から江戸城へ

ジャパニーズシンデレラストーリー


身分違いの結婚などがあると、よく耳にするのが「玉の輿に乗ったな」という言葉。


言葉自体は「」は宝石とか美しいもの・立派なものということ、「輿」は身分の高い人々を乗せて、担ぎ運ぶ乗り物のことで、それを合わせて「玉の輿」という言葉にして、上記のような意味として使われています。

男女問わず、社長など役職や地位のある人とごく普通職業の人が結婚すると言われる言葉です。言葉狩りされてしまう現代であれば、ゆくゆく消えてしまいそうな言葉のひとつですが、
この言葉の始まりはまさに玉の輿です。


話は江戸時代のこと。

徳川の世の話です。3代将軍 徳川家光の奥様探しが全国各地で行われ、その中の一人に
お万の方」という公家出身の尼僧がいて、側室として大奥に入ることになります。


そのお万の方に寄り添って大奥に入ることになるのが、京都の八百屋の娘から下級武士の養女になり、尼僧の侍女になる「お玉さん」がいます。


時代の話は色々すっとばして、このお玉さんが徳川家光のお子を授かるわけです。
この時点で、八百屋から将軍の側室になるわけですが、この生まれた子どもというのが、
後の5代将軍 徳川綱吉になるんです!
(あの犬将軍で有名な)


将軍の母親となれば、それは大奥において、江戸城にとっての女性ではトップオブトップなわけです。

お玉さんは八百屋の娘から将軍の母親になるというとんでもないシンデレラストーリーを体現するんです。


この話が玉の輿という言葉の語源・由来として知られるエピソードが有名な俗説のようです。


なぜ、今日この話をしたかといえば、
今日、1月20日玉の輿の日なんです。

今日が玉の輿の日になったのには、上の話とはまた違うもうひとつのエピソードが関わっています。


時代は明治後期の明治34年。
京都でのお話でございます。

アメリカの五大財閥のひとつ、モルガン財閥の創始者の甥 ジョージ・モルガンが世界を周遊していました。


そこで運命の出会い?といってよいかどうかは相手も了承しての話ですが、ある女性に出会い一目惚れしてしまうのです。


それが祇園の芸姑である「お雪」。
当時外国人向けの「小野亭」にいたお雪さん。
芸姑としては格下の存在だったようで、歌に、踊りに優れていたそうです。


京大の恋人もいたため、モルガンには見向きもしなかったわけです。それでも求愛が続くので困り果てたお雪さん、ある人に多額の見受け金を吹っ掛けて断わればいいとアドバイスをもらいます。


その言葉通りに当時4万円(現在相場でいえば8億円相当)をモルガンに申し出ます。
するとモルガンはそれを了承するわけです。
このことが「日本のシンデレラ」と大々的に報じられたため、お雪さんは恋人と別れ、モルガンと結婚することになります。


それが明治37年の1月20日
そのことにより、今日が玉の輿の日と呼ばれるきっかけだと言われているんですが、それによる資料などはないようで、どこまでが本当のことかはわかっていないんです。

以前書いたシンデレラストーリーもそうですが、シンデレラストーリーは人をワクワクさせる地からがありますよね。


今日は玉の輿の日ということで、ジャパニーズシンデレラストーリーについて書いてみました。


真実は小説より奇なりですよね。
どんな物語よりも人の生涯というのは面白味にあふれているのかもしれません。

↑一休さんは江戸時代の創作だった!?
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(すでに読んだよ~の方はありがとうございます。)

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
それではまた。











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