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断食をしてどうなったか

現在、断食を初めて26時間が経過した。

私が実践しているのは、水以外を一切摂取しない断食である。厳密には、麦茶と水以外をまったく口にしていない。

断食にはいくつか種類があって、私のように水以外を口にしないものもあれば、栄養分の補給のためにスムージー等だけは飲む場合、または16時間の空腹時間をつくるファスティングと呼ばれるものがある。これらはそれぞれ、意味や目的が異なるため場合によって使い分けるほうがよいだろう。

私は中学生のときから慢性的にお腹を下しやすく、現在に至るまで頻繁にトイレに行くという生活が続いていた。このため、私は様々なアプローチからこの状態を打破しようと試みていた。例えば、正露丸やビオフェルミンを服用したり、エスエスブロン錠のジヒドロコデインの下痢止め作用に期待して過剰摂取したり、最近では納豆に含まれるナットウキナーゼの整腸作用に期待して毎朝食べるようにしていた。それでも、特に劇的な効果を得られたことはなかった。

最近、仕事で外に出て肉体的な作業をすることがある。だいたい、朝の7:00に起床して9:00〜18:00頃まで継続して体を動かし続けるという内容だ。不思議なことに、これをする日はきまって腸の調子が良い。これはなぜだろうと考え、仮説を立てた。

①日光を浴びることで、自律神経が整ったことが原因
②作業における肉体的なストレスが一定時間与え続けられ、それが腸に対していい意味で働いた。(脳腸関係)
③肉体作業によって体から水分が失われたため、大腸において積極的に水分を吸収しようとしたことが原因

仕事柄、私は自室でPC作業を行ったり、電話応対をすることが常である。従って、①のように日光を浴び続けることが原因という仮説はあり得るのだ。自室は非常に日当たりが悪く、朝起きても間接的な自然光しか入らないことは以前から危惧していたことであり、これに起因して鬱症状を引き起こしたこともある。

また、②のように肉体的なストレスを与えられるということも、毎朝出勤のために電車に乗ったり歩いたりすることがない私にとっては新鮮であった。しかし、思い返してみれば学生時代においては毎朝電車通学していたのにも関わらずに、トイレに駆け込む毎日であったため、②の仮説はおそらく間違いである。

残るは③ということになるのだが、肉体作業を毎日行うことは現実的には不可能である。それに、大袈裟に体を動かしていない状況においても、大腸において正常に水分を吸収することが望ましい。腸内部が原因とすれば、もしかしたら腸内細菌のうち悪玉菌が増えていることも原因と考えられる。そこで、まずはできる範囲で腸内環境を整えようということを思い立った。そこで、最近のトレンドであるプチ断食(ファスティング)に着想を得、1日だけでも完全に断食してみようと考えたのである。

断食の効果としては様々なものが挙げられるのだが、明確な研究結果はまだそこまで多くはないようだ。一説によると、断食をすることでオートファジーという細胞の浄化作用により、細胞にとって有害な物質を外に出す効果があるとのことである。近年、ヒトは毎日必ず三食を食べているが、これは飽食と言って食べ過ぎである、という意見がある。食べ物を消化する際は非常に多くのエネルギーを消費し、胃腸に対しても負担がかかる。そこで、あえて食べない時間を設けることは生物学的にも理にかなっているらしい。

さて、本題に戻るが、26時間を経過して私の体に何が起こったかを説明しよう。ちなみに、最終飲食時間は前日の21:00で、夜食としてマルちゃん製麺の醤油味を食べた。

まず、朝ごはんの時間を過ぎて11:00、漠然とした食欲が湧いてきた。このときはまだ、食べなくてもまあなんとかなるかな、といった弱い感情であった。

13:00、このとき断食を後悔するほどの強い食欲に襲われた。普段、食に対する欲がそれほど強くない私でも、このときはなぜか蕎麦やつけ麺、そしてCMで流れていたケンタッキーのフライドチキンを思いっきり食べたくなった。

17:00、このとき既に、私の心は揺れ動いていた。「なんのために断食しているのだろうか」「いまやめたところで誰が損するというのだろうか」この有り様である。しかし、一度決めたことを覆すということは、これまでの努力が水の泡となる。私は夜までもう少し踏ん張ることに決めた。

21:00、明日は何を食べようか、朝から牛丼を食べてみようかな、という食に対する欲が暴走し始めてきた。食べものというのは全て依存性のあるドラッグのようなものなのだろうか。ここまで何かを食べたいと思ったことは社会人になってから一度もないような気さえした。


そして、現在時計の針は24:14を指している。私は空腹のあまり、一旦は布団に横になったもののなかなか寝付けず、こうしてnoteを書いている。食欲は健在で、今すぐにでもケンタッキーのフライドチキンやココイチのカレー、焼肉やラーメン、ケーキなどが食べたい。食べたくて仕方がない。

腸を整える、ということが目的で始めたこの断食であるが、いざ始めてみると溢れる食欲に圧倒されてしまったというのが感想である。もはや、腸内環境は日光を浴びたらどうにでもなるのではないか、という暴論で締め括ろうとしている始末である。最後に真面目な考察をするとすれば、世界中の宗教行事としての「断食」が今日まで行われていることには意味があると実感した。それは、自分の欲と向き合うという時間をもつことができるからだ。睡眠欲は避けられない欲求としても、性欲や食欲はコントロールできる。欲をあえて抑えることで、自分が本当は誰が好きなのか、何が食べたいのか、という野性的な欲求と向き合うことができる。少なくとも、私はこの断食を通して、普段感じたことのない自分の食欲に向き合うことができた。

とにかく今は、ケンタッキーのフライドチキンが食べたい!!!!!!

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