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挨拶の効能を考える

私が住んでいる地域はそこそこ田舎です。
だからなのか、通学中の子供たちが「おはようございます」と挨拶してくれるのです。

もちろん、私は子供たちの全ての名前と顔を知っているわけじゃありません。ただ、「近所に住んでいる」というだけで挨拶してくれます。

子供を連れてその辺を散歩していてもすごく声をかけられます。
お年寄りが多い地域なので(特におばあちゃんは)子供を見ると声をかけたいようです。何だかんだ理由をつけて声をかけてきます。

都会だとこれが逆で同じマンションに住んでいても声をかけないそうなんですね!!変な人が多いからなるべく初めから人を疑ってかかるのだと。私はそれを聞いてびっくりして、「一生都会には住めない」って思いました。(だって私、子供に挨拶しちゃう。変質者扱いされちゃう!)

ただですね。この挨拶という行為が「人を信頼して」とか「心をオープンにしている」ということに繋がる訳ではない、と思うのです。

むしろ田舎の方がコミュニティルールは厳しい

これは私が田舎に住みながらも、たまたまオンラインでお友達が結構できたので、わかった事実です。田舎の方が都会よりルールが厳しくねぇか?と思ったのです。
どんなコミュニティルールか、と言いますと人数が少なくて、自治会長の独裁政治みたいなところもあるので、「力持つもの」の暗黙のルールが意外と多いです。

例えば今だいぶ緩和されてきたコロナのマスク着用のこと。先月東京にプライベートで出かけて来ましたが、マスクなんて誰もしてなかったです。
しかし、私の地域だと、コミュニティによってはまだ「マスクしないと行事に参加できない」場合もあります。
地元の病院にかかった時は「検温、マスク、そして他県へお出かけになった場合は必ず連絡してください」とありました。
子供の習い事でも「マスクを着用しないと参加できない」ルールを置いていることもあります。
「禁止」を置いてなくても、いざ行ったら全員マスクをしていて、空気を読みきれなかった・・・なんてことも。

田舎のルールは公言されていない分、難しいのかもしれません。
古い今までの慣習や「前例」を大切にするあまり、空気を読みまくらないと守れない・・・そんな背景があるのかもしれません。
田舎のコミュニティでは、同じ空気を纏わないと「仲間とは認めてくれない」のかもしれません。

さて挨拶の話に戻ります

じゃあ、なぜ、田舎の方が挨拶をするのか。という話に戻ります。
これは、私なりの答えを出すと「コミュニティを維持するため」なのではないかと思うのです。

人間が少ないからこそ、「亜種」が入り込むのを恐れるのです。
暗黙のルールが多いからこそ、「挨拶」というツールを使って、「お前、仲間なんだろうな」という軽いジャブみたいな交流が必要なのかも。

子供に「地域の人に挨拶をしなさい」と伝えているのは大人なのです。だから、これって元々大人の風習なのですよね。

「こんにちは」「おはようございます」こんな簡単なコミュニケーションで、「私あやしくないですよ」「近くに住んでますから」そんな言葉にならないコミュニケーションをとり続けているのかもしれません。

それでも挨拶は気分が良い

背景に流れている感情や言葉はさておき、元気いっぱい「おはようございます」と挨拶されるのはやっぱり悪い気がしないものです。

私は、きっと都会のマンション暮らしになったら、ただ近所に住んでるだけの、薄〜い関係の人からの「おはようございます」や何も生み出さない世間話が恋しくなるのだと思います。

きっと私は今住んでる土地が好きなのです。
根っからの田舎者なのだろうな、と思います。




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