見出し画像

2024年2月8日 動悸の問題


最近、妙に動悸がします。
時と場合は関係ありません。
いつでも、です。
仕事中も、料理を作っている時も、ぼんやりネットを見ている時も、
休みでカフェにいる時でも
起こります。

血流が体の中を駆け巡り、
心臓をバウンドさせています。
楽しいはずみかたではありません。
どちらかというと、
やけになったピエロが燃え盛っているテントの前で
ジャグリングをやりながら、妙なステップを踏んでいるというのが
しっくりきます。
イメージでは、暗闇の中に赤と白のテントが、炎で浮かび上がっています。
その前に、少し薄汚れた衣装を着た、赤毛のピエロがいます。
もちろん白塗りです。
ピエロの真の表情はちょうど陰になっていてよくわからず、
赤くて丸い鼻と大きく縁取られた唇、
目元に描かれた涙の雫マーク、
止まることのないジャグリング…、
アメリカの低予算ホラー映画のような感じです。
無音の中、ギクシャクしたステップが続けられています。
何で、こんなイメージが浮かぶのでしょう。
しかもかなり詳細です。

この動悸は、恋をしている動悸とは違います。
きゅんきゅんではなく、どこどこどこという、
不気味かつ根源的なリズムです。
何とか、そのリズムを止めようとか和らげようとしていますが、
今のところ有効なものがありません。
お風呂も美味しい食事も香水もそして1番大好きな睡眠ですら、
明確な効果を感じません。

休みの日でも、平日の夜でも変わりなくやってくる動悸、
おそらく加齢のせいだとわかっているのですが
なかなかに不快です。

ぼんやりしていても、どきどき、
仕事をしていてもどきどき、
家事をしていてもどきどき。
なんだそれは、一体どういう仕様なんだと思いますが
なってしまったものは仕方がありません。
何とか、この動悸と折り合いをつけていかねばなりません。

一つ考えられるのは
毎年来年度の仕事の計画を立てる時期であるといことです。
スケジュール管理は、最もストレスを感じる業務です。
数ヶ月先、ときには一年後のために、
予定を組むとか、
各所へ頭を下げるとか
様々な段取りや交渉をするわけですが
これが本当に好きではありません。
そんなに真剣に先の予定を組まなくても良いのではないかと言われることもあるのですが、
そういう人はそうすればよろしい、
ゆるい組み方で泣きを見たことがある人間はそうは出来ないのです。
人に迷惑をかける前提で予定を組むことが、
自分には出来ません。
でもそうなると予定の段階でお断りをしたり、お願いをしたりする必要が出てきます。
マネージャーや秘書と言われる職種がどうして必要なのかがわかります。
普通の人間でもスケジュールのやりくりは大変なので、
知名度のある人や大企業の社長であれば、さらにその必要性は高まるでしょう。
今はやりのAIはスケジュール管理の分野でも使われているのでしょうか。
最初のプロンプトさえ、きちんとしていれば、出来そうな気もします。
でも各所とのやりとりは人間がすることになるのでしょうね。

いずれにせよ、来年度の予定のめどがたてば、ストレスがかなり低下するはずなので
この動悸も和らぐのではなないか、と予想を立てています。
というか、そうであってくれ。

もうひとつは、健康診断です。
正直にいうと、健康診断が非常に苦手で、診断前1ヶ月はとても緊張します。
これもまた予定調整と同じで、さほど神経質になる必要はないと思うのですが、
とにかく気分が重いです。
悪いところが見つかったらどうしようという不安があるのはもちろんですが、健康診断の雰囲気がひどく苦手です。
スタッフの人は仕事の一つであって、こちらの生活態度や反応をせめているつもりはないと思うのですが
あの流れ作業的な態度に冷たさを感じます。
「流れ作業を止めるようなことをしてはいけないのだ」と考えると、
心拍数が上がり、不安になってしまいます。

先日、健康診断は終了したので、結果はどうあれ、
かなり、ほっとしました。
それだけでもかなり動悸が減りました。
動機の本当の原因は、健康診断なのかもしれません。
この健康診断で緊張する癖を治したいのですが、
年々、ひどくなっています。
結局、誰かに体調や生活のことについて口を出されたくないという思いが人より強く、
しかも年々頑固になっているのだと思います。
プライドの問題かもしれません。
とにもかくにも、
生活について人に口を出される、
指導されるようなことが嫌なのです。
よく考えるとこれでよく、日本の教育システムを潜り抜けてきたものです。
自分でも驚きます。

とにかく、保健指導がとても嫌です。
数年前に、健康診断で、医師に「天ぷらとか食べないほうがいいですよ」と鼻で笑われたことを思い出すのかもしれません。
対して自分のことを知らない奴に、
食事についてなど意見されたくないという負けん気と屈辱感がむくむくと湧き上がってきます。

体の不調が出ててくるのは当たり前のことですが、それを認めたくないという気持ちもあるのかもしれません。
割れたクッキーより、割れてないクッキーを欲しがる子どものような浅はかさです。
どちらにしてもクッキーはクッキーだし、
体であれば、クッキー以上に、経年劣化は自分の責任でもあるというのにと思うのですが
その点をまだ飲み込めていないということでしょう。
今後の人生を考えると、
こういうこだわりは捨てていきたいのですが、
まだ難しいようです。

今日は動悸がずいぶん少ないです。
やはり健康診断が嫌だったのでしょうか。



気に入ったら、サポートお願いします。いただいたサポートは、書籍費に使わせていただきます。