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ポックリ逝きたい祖母と孫

「ポックリ逝きたいわあ」

くちぐせのように、祖母が言う。

「逝くときは、ポックリ逝きたいわあ」


祖母の両親、わたしの曽祖父母はふたり揃って長生きだった。曽祖母は認知症になり、最期は誰のこともわからなくなってしまったようだけれど、曽祖父は93歳(確か)で亡くなるまで趣味で畑に出続けた人だった。

祖母は「そんなに長生きせんでいい」と言う。そのたびに「親が長生きやったから厳しいんちゃう?」と返し、「困るわあ」と苦笑いされるのがお決まりだ。後期高齢者にようやく入った祖母は今も元気だ。今年、5人目のひ孫が生まれた。


わたしもポックリ逝きたいなあと思う。それほど長く生きなくてもいい。昔のように積極的に死に意識が向かうことは少なくなったけれど、生への執着心は薄い。死ぬときは死ぬんやし、と思っている。できればあんまり苦しみたくはないけれど。ああ、あとは母になってしまったので、息子たちが自立するまでは生きていられたらなあと思う。


祖母は「ポックリ逝きたい」と言いながら、毎日の散歩を欠かさない。わたしの親と同居しているけれど、食事も毎食作り続けている。わたしの実家にはキッチンが二ヶ所あり、一階が祖母用だ。

祖母と比べ、わたしは健康に無頓着だ。好きなときに好きなものを食べ、ふだんは呑まないけれど呑むときには調子よく呑む。早寝早起きでもないし、運動量も少ない。

祖母は「みんなに苦労をかけんように」と言う。みんなに苦労をかけないように、体に気を遣っているのだと。ポックリ死ぬためには健康に気を配らなければならないらしい。ああ、なんて面倒臭い。


健康的な生活を送っていれば必ずしもポックリ死ねるわけではないけれど、巷では「健康寿命を延ばす」ことに重きをおく動きもある。相変わらずわたしの生活は気ままだけれど、不摂生は控えた方がいいのだろうなあ。

なお、不摂生を重ねた上にポックリ逝った祖父の例もあるので、やっぱり一概には言えないのだけれど。

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