【私の読書記録】#3 私たち、まだ人生を1回も生き切っていないのに/小林エリコ
著者の小林エリコさんについて紹介することから始めたいと思います。
短大を卒業後、成人向け漫画雑誌の編集に携わるも、激務とそれに見合わない低賃金が原因で自殺を図りました。現在は通院しながらNPO法人で勤務していらっしゃいます。
私が小林エリコさんの著書と出会ったのは、私が大学1年生の冬。
「精神疾患のある人、あるいはその家族の手記を読んで感じたことを書きなさい」という、福祉系の大学にはありがちな課題でした。
できれば精神疾患のあるひとの家族の手記を読みたい、というのが私の本心。詳しいことはいつか書けたらいいのですが、「私自身が精神疾患のある人の家族だから」というのが理由でした。だから最初は家族の手記を買って読みました。自分の経験と重なるところがあり、読み進めていくのがとても苦しかったのを憶えています。
だからこそ、と言うべきでしょうか、精神疾患のある人がどんな思いで生きてきたのかを知りたかったのです。
そうして当事者の手記を調べていくうちに出会ったのが、彼女の『わたしはなにも悪くない』という著書でした。このエッセイに関しては敢えて紹介するのを避けたいと思います。
どうか、手に取って読んでみてほしいと心から思うからです。
精神疾患も、自殺未遂も、言葉にすればたった4文字。私たちは、その4文字にどれだけの苦悩が満ちているのかに向き合わなければならないのだと思います。そして、そのたった4文字の裏側にあるひとりひとりの命の軌跡に、苦しさがあり、涙があり、刹那的なものであったとしても笑顔と幸せが陽の光のように差し込む時があるのだと、知ってほしい。理解しようとしてほしい。理解できないのなら、それでいいと思います。でも、理解できないんだと言いたいのであれば向き合わなければいけないのではないでしょうか。
前書きとしてはあまりにも長く書き過ぎてしまったようにも思いますが『私たち、まだ人生を1回も生き切っていないのに』を読んで思ったことを書いていきますので、もう暫しお付き合いいただければ嬉しいです :)
このエッセイで大きくテーマになっているのは「人との出逢いと別れ」だと感じました。学生のときの友達、職場の人、好きな人、様々な人との出逢いがあり、そして、悲しいことに別れがあるのです。別れというのは、相手から切り出されたものだとしても、自分から切り出したことでも、「これまであったものがなくなる」という一種の空虚感を感じるものであると思います。
私にとって「出逢いは未知のものとの遭遇」「別れは悲しいもの」でした。しかし、同時にそれは尊いものであるということを、このエッセイに教えてもらったような気がします。
私がこのエッセイを読んで、特に印象に残ったところを一つ引用させてください。
筆者は人との出逢いで、人が作り出した環境で、死の淵を何度も想像したのではないかと思います。そして、人との出逢いで、人が作り出した環境で、その死の淵から何度も脱してきたのです。
きっと私たちにも同じようなことがあって、人の言葉で傷ついて、その言葉に殺されかけて、それでも別の人の言葉に救われて。そういう積み重ねが、私たちを生かすのではないでしょうか。傷ついて、その傷に心を支配されそうになっても、今、確かに存在する人との繋がりが、明日へ命を繋いでいくのではないでしょうか。
そんな人間のあたたかさを感じるエッセイであり、読了した時には、自分の命を繋いでくれるあたたかな存在を思い出すエッセイでした。人との出逢いも別れも、時には悲しく感じるものでありながら、これからを照らしてくれる希望になるものでもあり、それはとても尊いことであると教えてもらうことができました。
今回はこの辺で失礼します(^^)
次の更新はいつになるでしょうか…
またお会いしましょう!
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