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「ななつのこ」(童話「みにくいアヒルの子」童謡「七つの子」の二次創作)


画像はゴッホの画集より カラスのいる麦畑(一部)

↓以下本編↓

 おや、坊や。お帰りかい。
 日暮れだね。おうちへ帰るのかい。
 ちょっと話を聞いといで。
 いいからそこに座んなよ。

 山ん中に女がひとり、子どもがひとり居た。炭焼きだった亭主が死んで途方に暮れ、女は子どもの手を引いて山を下りた。麓の町で仕事を探したが、子連れの小汚い女を雇うところは何処にも無かった。
「あんたねぇ、子連れってのは面倒なんだよ。あんたが働いてる間、その子の面倒は誰が見るんだい」
 そう言われ女は山へ戻った。
「おっかさんは働きに出るよ。お前は家で火の番をして待ってておくれ」
 子どもは小さく頷いた。

 麓の女郎屋で薪割りをさせてもらうことになった。炭焼きの女房だったから薪割りは得意だ。
「ほうら、今日は餅を貰ったよ」
 昼間にたんと薪を割り、力仕事も汚い仕事も何でもする代わりに、夜は家に帰ることを許された。給金などは貰えない。客の食べ残しや台所の残り物を持って帰る。繁盛している店だったので、残り物といっても山暮らしの親子には上等な食べ物ばかりだった。子どもは囲炉裏の傍で待っていた。
 女が帰ると子どもが飛びついて来る。子どもを懐に抱きながら火を熾し、鍋を拵える。
「おっかさんはねぇ、仕事が辛いと山を見るんだ。ああ、あそこでお前が火の番してるって思うとね、なんだか胸が熱くなる」
 子どもは女の懐で眠りについた。

 ある日、女を見ていた女郎屋の女将が首を傾げた。
「ちょいと誰か。その子に水を掛けて洗ってごらん」
 女中たちが水を掛けると、びっくりする位真っ白な足が現れた。女は今まで体を洗ったことがなかったのである。女将は大喜び。
「あんた、今日から店へ出な。薪割りよりよっぽど稼げるよ」
 女は女郎になった。

「ごめんよぉ、遅くなって」
 女が千鳥足で帰って来たので、子どもは心配そうに駆け寄って来た。
「ああ、お酒なんて初めて飲んだ・・・すまないねぇ、待たせたねぇ」
 派手な着物を着て紅なぞさして、それでも懐にしっかりと握り飯を抱えて女は帰って来た。
「少し火で炙ろうか。それともすぐ食べるかい」
 子どもが懐に潜り込むと、女から酒の匂いや汗の匂いや、嗅いだことのない煙たい匂いがした。
「ほら」
 女は何枚かの銅銭を出して見せた。
「今日はいつもより余計に働いたからね」
 女は少し寂しそうな目をした。
「早く、お前と一緒に麓で暮らしたいねぇ・・・」
 子どもは飯粒を頬につけたまま、女の懐で眠ってしまった。
 女の帰りは日に日に遅くなった。子どもは火種を消さぬよう、毎日家で待っていた。

「本当に、磨けば光るってのはこのことだねぇ」
 女郎屋の女将は半ば呆れたように女の体を褒めた。女は、湯屋に行くと周りがうっとりと眺める程白くて肌理の細かい肌をしていた。土と垢で汚れた昔が嘘のようだった。
「おめぇの体は病みつきにならぁ」
 ある客がその肌を水鳥の羽のように柔らかいと褒めたので、女の呼び名は水鳥になった。

「ごめんよ、また朝になっちまった」
 女の帰りが翌朝になることが増えた。子どもは草を噛んで待っていた。
 飛びついて来る子どもを懐に迎え、女はうっとりと頬を染める。
「あのねぇ、もっといい暮らしが出来るかも知れないよ」
 男は隣町の商家の跡継ぎと名乗った。
「商いでこっちに来たんだって。女郎屋なんて普段は来ないんだけど、お付き合いでね。でも、お前さんみたいな人がいるんだったらもっと早く来りゃ良かった、なんて」
 男は女の元へ通い続けた。
「お前を店から買い取って、家を用意してやろうかなんてさ」
 女は子どものことも打ち明けた。
「親父はもう年だ、じきに自分が店を継ぐ。そうしたら遠慮なしにお前たち二人を店に迎えてやるって。あたしはそんなの勿体ないって言ったんだけど、俺はきちんとしたいんだって」
 全く夢のような話である。真っ黒だった炭焼きの女房が、立派な商家のおかみさんになろうと言うのだ。周りは白い目で見るかも知れない。でも、優しい男が守ってくれる。これは神様からのご褒美なんだ。亭主に死なれて子どもを抱えて一生懸命頑張ったから。
「だからね、もう少しの辛抱だよ」
 夢物語を聞きながら、子どもは懐で眠りにつく。

 全部嘘だった。
「あんたにゃ気の毒だけどねぇ」
 店の支払いを踏み倒して男は逃げた。全部女の借金になった。
「あんた、もう住み込みで働きなよ。夜も客を取りゃ倍稼げるさ」
 女の肌が柔らかいうちに稼げるだけ稼いでもらおう。女郎屋の女将はふぅっと煙草の煙を吐いた。
 男に騙され借金を背負い、女はぼんやりした頭で朝を迎えた。
(そうだ、家へ帰らなきゃ・・・)
「おおい、あれ、何か燃えてねぇか」
 通りに出ると人が山を指さしていた。風の強い日だった。

 女は狂ったように山を駆け上ったが、着いた頃には家はすっかり焼け落ちていた。薄い壁も細い柱も幼い子どもの小さな体も、汚い炭になっていた。女は炭の塊を抱いた。胸も手足も真っ黒になった。
 遠くから小さな声が聞こえる。

 おっかあ。
 おら、草食べるよ。木の根食べるよ。餅、いらんよ。米もいらんよ。
 おっかあは、黒いままでもきれいだよ。おしろいなんか、いらんよ。
 おら、火の番をするよ。
 布団なんかいらん。おっかあの懐があればいいよ。
 おっかあ。
 待ってるよ。
 おっかあ。
 かあ。
 かあ。
 かあ・・・

「ああああああああああーーーーーーーーーっ」
 女は叫んだ。炭より黒い骸を抱いて、抱いて、抱きしめて、哀れに、愚かに、我が子を抱いて。
「ああああああ・・・・あああああああああ・・・・・・」
 ぼろぼろと骸が崩れてゆく。
 女は我が子の灰にまみれた。怒りと悲しみで体が煮え滾った。男も女将も皆憎い。誰よりも自分が憎い。
「おっかあだよ、おっかあだよ、ごめんよう。もうはなさないよ、ごめんよう」
 ぐるるるる。
 女は振り返った。山犬だ。
「やるもんか。お前らなんかにやるもんか。この子はあたしんだ」
 女は灰を我が身に擦り付け、燃え残った骨を喰らい走った。山犬は女の生肉を求めて飛び掛かった。女は山犬と縺れ合うようにして崖から落ちた・・・

 女かい。
 鴉になったよ。
 七つの子どもの魂咥え、どっか遠くに飛んでった。
 子鴉は かあ、と鳴くのさ。
 親鴉は 嗚呼、と哭くのさ。
 
 坊や、お帰りかい。家にゃあ誰か、居るのかい。おや居ないのかい・・・
 火の番にゃあ気をつけな。いいかい、火の番にゃあ気をつけな・・・

 聞いてた子どもは走って逃げた。振り向くと一羽の鴉が泣いていた。

                           (了)

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