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生きづらさの正体

はじめに断っておくと、今回紹介する生きづらさの正体はとても個人的なものであり、多くの人には共感できない内容になっている。私がこれまで生きてきた中で漠然と抱いていたその生きづらさを紹介する。

結論から言うと、私の今まで感じていた生きづらさの正体は「マジョリティと感情を共有できないこと」である。
みんなが盛り上がっているところで盛り上がれなかったり、感動しているところで感動できなかったりする場面が振り返ると今まで多くあった気がする。
みんなと同じリアクションをとれず感情の共有ができないと、自分には共感性や協調性が欠如しているのかと思っていた。

先日、上司が働きがいについてチーム全体にレクチャーをしてくれた。
「働きがい」を要素分解し言語化していく中でチームのみんなは「おお!」と歓声があがったりもしていた。そんななか私ひとりだけそのレクチャーの内容に納得していなかった。実際、大事な肝と要素が抜けておりそれが引っかかって納得できなかったのだ。
あの瞬間私は空気を読んで納得していなくても盛り上がるべきなんじゃないかと頭を悩ませた。
思い返せばこのような状況は今まで多々あった。今では、なんとなく納得できないことも言語化して相手に伝えることができるため和らいでいったが、過去の未熟な自分は納得できない理由をなんとなくのままにしていたので、なんとなく生きづらさを感じていたのであろう。

加えて厄介なのが、プライベートやコミュニティで求められる会話はまた違うということである。例えば、女性と会話する時「すごい」というリアクションを求められているのであれば納得していようがいまいが「すごい」という驚きを与えてあげるのが正解なのである。彼ら彼女らはその状況では論理や合理など求めてはいないということを過去の自分は理解せずにいた。それらを区別できていないが故に余計生きづらさを感じていたのであろう。

ただ、明確になってしまえば何も生きづらくなど感じない。言い方を気をつけて納得できないときは納得できない理由を伝えれば、みんなも理解してくれる。納得できたときは思いっきりみんなと感情の共有をすれば良いだけなのだから。

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