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自分の「価値」の見つけ方

「自己肯定感」=ありのままの自分を認め尊重する事
自己肯定感の国際比較調査では欧米人の80%が「自分に満足」と答える中で日本人は40%に留まっています。

私も最近まで「自分に満足できない側」の一人でした。
ですが、今はやっと「今の自分に満足です」と答える事ができる様になりました。

この変化で一番変わったと思う事は、「何でも挑戦できる様になった事」と、「無条件で自分自身を愛せる様になった事(大切にできる様になった)」です。

自分の中で、この2つの大きな変化によって世界を見る目が変わり、人生が好転したと感じました。

もしあなたも「自分に満足できない側」の一人で、「満足できる側」になりたいと思っているのなら、ぜひ「自分の価値の見つけ方」を参考にして頂きたいと思います。

自分に自信が無い「理由」を知る

私には沢山ありました!
生まれつき難病だったので、そもそも他の皆んなより「できない事が多い」という事実をわずか10歳で突きつけられる事になったからです。
病気については他の記事で取り上げていますので此処では簡単にお話しますが、「笑う」それだけで過呼吸に苦しみ全身の力が入らなくなる様な状態でした。

自己肯定感が0%だと最悪になる

病気が発症した当時4年生の私は、とても感受性が強い子供でした。
発症する前まで出来ていたドッヂボールや鬼ごっこなどの呼吸が大きく乱れる運動ができなくなり、友達と笑い合うような事が出来なくなってしまった絶望感は忘れられません。

現代で言う「人生ガチャ ハズレ枠」を引いた気持ちです。
医者に言われた事は「日本では今治療法が無いので、アメリカの先進医療を試すしか今は出来ない」という言葉。10歳でも「自分の病気は医者でも治せないんだ」と理解できました。まして当時はアメリカで治療なんて規模は遥か彼方に思えていたのでその時点で「人生を諦めてしまいました。」

10歳の子供の判断基準なので、このまま訳のわからない病気で未知の苦しみで死ぬ運命なら楽に死にたいと自暴自棄になってしまいました。
今まで35年間生きてきた私の人生にとって、この状態が「自己肯定感 0%」だと人生を振り返って思います。

やりたい事が何もできない自分には生きてる意味が無い
家族のお荷物になっている自分の存在が辛い
なんの役にも立たない、ただ消費するだけの自分に価値が無い
私の脳内は常にこの3行が浮かんでいて、私の世界には絶望しか見えませんでした。

これらは全て絶望していた当時10歳の私自身の考え・視点です
実際「家族は私を重荷に感じている」どころか生きるのを諦めている私よりも私が将来的に自然治癒する20%に入るから大丈夫と励まし続けてくれました。でも、その時の私は「当事者じゃない人はなんとでも言えるよな、本当は毎週病院通いで一生治らないかもしれない子がいて邪魔だよね。」と、どんなポジティブな言葉をかけてもらっても絶望の中にいた私はネガティブにしか考えられませんでした

その後、病気の発作の一つである頭痛により、意識を失っても体が暴れ出す程の重症で病院に運ばれ、病院で意識を取り戻しました。

私は痛くて意識を失った時、死んだと思いました。
ですが意識を取り戻す事が出来てからあんなに人生を諦めていたにも関わらず「このまま死ぬのは嫌だ、まだ何もやってない」と思えた時、自分は考え方を180度変えなければと思いました。

自分は自分、他人は他人

死にそうだったのに復活した事」=私は運が良い!
病気で運が悪すぎると思っていた過去とは比べられない程、臨死体験で私の心境は逆転しました。
そこから「健常者と病気の自分」を比較してできない部分にばかり嘆いていた意識が、「過去の自分と今の自分との比較」へと変わりました。

そもそも比べる対象が間違っていたし、全てが違う他人と自分を比べる事はできなかったのだと体験を通じて理解する事ができました。

「今」、生きてる自分に感謝する

病院を退院し、まず「退院できた事に感謝」しました。
私はノートを買ってもらい、そこに今日の日付を書き「今できることリスト」を始めました。

私は病気である自分が恥ずかしくて、学校からも自分からも公表は控えていました。なので、病気について赤裸々に話せる相手は家族のみでしたが、家族に心配をかけるのも嫌だったので「ノートを相手に話す」事を思いつきました。

過去の自分は人生を諦めていて今生きている事を完全に無視していました。「死ぬ方法」だけを考えて生きている状態で何も「生きる為」の努力をしなかったのです。

なので、生きる事に意識した今は「できる様になりたい事リスト」を沢山書けました。そして、少しずつできる事が増えたらその項目を横線で引いて消していくという形で進めていきました。

「ありのままの自分」を受け入れる

当時のリストは本当に簡単な事からスタートしています。
「階段を休まず10段登れる」とか、「いつもより給食を多く食べる」とか、そんなものです。それでも、一つ項目が消える事に「最悪な自分の状態」から1レベルUPしたぞ!と自分なりの自信を育てていく事が出来ました

少し前なら「そんな健常者から見たら出来て当たり前以下の事」と思っていましたが、今は「自分は重度の病気なのに此処まで出来てすごい!という視点を持っているので健常者と比べる事自体が間違いだと理解し、「今の自分(重度の病気を患い闘病生活をしている自分)」を受け入れる事が出来ました。

自己肯定感が100%だと夢が叶う

10年間リストを埋め続けた結果、その中で興味を持った語学留学の道に進み、20歳の頃には病気は家族の言う通り「成長と共に自然治癒した20%」に入る事が出来ました。
そして、20歳になりアメリカ大学の日本キャンパスに入学し、2年後は夢だったアメリカ留学を果たし、無事に卒業し帰国しました。

自己肯定感マイナスからの100%でこれだけ人生が変わります。
「できる様になりたいリスト」に横線を引くたびに私は自分のレベルUPだと思いゲーム感覚で取り組み、数回試してもクリアできない項目には「ボス」と名前を付けて、もっと簡単なものを先にクリアし、再度倒せるまで挑み続けました。

ボスを倒す」度に「自分ならできる」という自分で自分を信じられる気持ちを自分が認めてあげる事で育てていきました。そこに「他人(自分以外の人の意味で)」は一切考えませんでした。

自分の価値を決めるのは「自分」

生まれた環境、親、家族、時代、地域、職業、社会的立場、などなど他人とあなたは違うところばかりです。
なので自分と他人を比べる事はできません。そもそもその比べるという行為が無意味だと気づいた時、「自分だけに注目すれば良い」と理解できます。

他人の評価は基本スルー

例えば友達に「これどう思う?」と聞かれて基準になるのは「自分の考え方をベースにした評価」です。なので、その評価が友達とすれ違っていて当然です。「違いを知りたいから」という比較なら勿論OKですが、同意を求めて他人の評価を聞くのはお勧めしません。
自分にとって最高でも他人にとっては最低かもしれないから」です。

長年の友達で好きなものや事が共通の人だとしても、夫婦だとしても「自分以外は他人」です。その意識を持っておく事は、自分のメンタルを健康状態に常に保つ為にとても大切です。

その人との距離が近ければ近いほど、意見が違った時あなた自身を否定された様に感じてしまう可能性があるからです。
それは、評価を求めた(自分もしくは)相手が「この人なら絶対自分と同じ意見に違いない!」という謎の思い込みを押し付けている行為。

結局、どんなに同じ時を過ごした家族や恋人、夫婦、親友だとしても
100%自分と同じ人はこの世に自分一人だけしか存在しません。

だから、「自分の価値は自分で決める事が大事」になります。
自分が自分を裏切らない限り「他人から来るどんな評価さえ無意味」
なぜなら自分は自分のままで最高だと自分で認めている限り、自分の価値は他人に左右される事はなく、ブレずに真っ直ぐ生きて行けるからです。

これは、私の人生の中で「自分の価値を見つけるまで」の一例に過ぎませんがどん底と最高の良い例なのでよく使っています(笑)

辛かった闘病10年間が報われるとしたら、こうやって誰かを励ますために使う時だと思っています。

大切な人に否定されてショックだったり、自分の価値が分からず自暴自棄になってしまった人へ届き、少しでも励ましになれたら幸せに思います。
ご拝読ありがとうございました。







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