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野口村での思い出。〜 竹の香り

小学校の時に野口先生という先生がいました。

野口先生は、夏になると千葉の田舎の方にあるご自身の家(もしくは実家)を開放して、学校の子供達を泊めるキャンプをしていました。

「野口村」といいます。

野口先生は、確か担任は持たれてなくて、時々古文のようなものを教えていました(小学校なので古文という授業はないとは思うのですが・・)。

僕の通っていた千葉大学教育学部附属小学校は、西千葉というJRの駅前にあり、大学のキャンパス内にある中学なので、多少の緑はあるものの、まわりは普通の住宅地。

電車で学校に通い、帰りは塾という毎日を過ごしていた僕の心に「野口村」での夏の生活、そして、そこで体験した様々な出来事は、言葉にはできない思いや経験として、深くささりました。

そのことが、その後の自分自身の価値観形成に大きな影響を与えていたことに気づいたのは社会人になってからです。そして、自分が親になってみてようやく「野口村」が、自分の中で社会教育の場として機能していたということを理解しました。

幼稚園から大学まで通い続けた学校教育の場からではなく、4年生から6年生まで、夏の間だけ過ごした「野口村」が、その後の自分自身の価値観形成により大きな影響を与えたことは、いま考えると非常に興味深く、教育に携わるようになってから、よく「野口村」のことを考えます。

非日常空間であったことや、心の成長とタイミングが合っていたことはもちろん大きいのですが、社会教育というものの意味や可能性を強く感じます。

「野口村」では、基本的に毎日が自由でした。

いくつか参加者全員で行うアクティビティはありましたが、基本的には、いつどこで、どんなことをしてもよい毎日。ただ、いくつかのきまりはありました。

その一つは「野口村」までは、かならず自分一人で来なければいけないということ。

当時小学校4年生であった自分にとって、手書きの地図を頼りに、電車やバスを乗り継いで「野口村」まで行くことは大冒険でした。

普段から学校へは毎日一人で電車通学をしていましたが、バスに乗るという経験はほとんどなく、知らない土地でバスを探して乗らなければならないというのは、それだけでなんとも言えない不安感がありました。

乗り込んだバスの中で、表示される停留所の名前と地図に書かれた名前とを何度も見くらべていた時のドキドキ感をいまでもよく覚えています。

もう一つの決まりは、「野口村」に到着したら、滞在中に使う、箸とコップは、自分で作らなければならないこと。

山積みの竹の中からよさそうなものを選び、ノコギリで挽き、小刀で飲み口を削り、自分のコップをつくります。箸の方は竹を鉈で割り、削り出して作ります。

真夏の日差しが照りつける中、作りたてのコップで飲んだ冷たい井戸水。竹の香りがしたその水は、家で飲む水よりも何倍もおいしく感じました。

自分で使う物は自分で作ることができるんだ。

その時そんなふうに思った訳ではありませんが、竹でコップと箸をつくる体験は、竹はよい香りだという印象と共に、価値観の種のようなものが自分の中で生まれた瞬間だったのだと思います。

裏山の洞窟をつかった天然の冷蔵庫。自分で釣ったウグイを天ぷらにして食べたこと。高い木の上に作られた竹のフロアの上で食べた流しそうめん。池に浮かんでいた大きな丸太の筏。はじめて見た蟻地獄・・・。

「野口村」での体験については、社会教育というコンテクストの中で、これからも少しずつ書いていきたいと思います。

表題の写真: みんなのフォトギャラリーを使わせていただきました。koukichi_tさん、素敵な写真をありがとうございます。

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