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配意と配慮

配慮に対しての記事を書こうと思ったときに
配慮って感覚でしか捉えていなかったなと
思って調べたら、初めて見る漢字が
検索候補に出てきた。

“配慮と配意の違い”

配意....今まで生きてきて、
配意というものを見たことないが
少し気になった。

なので、今の人らしくググってみた。

最初に「配意」の意味をご説明致します。

「配意」(はいい)とは、
対象とされる人や物事に対して、
心を配り、気を遣うことを指しております。

簡単に書きますと「気遣い」と理解するとわかりやすいでしょう。

次に「配慮」の意味を解説していきます。

「配慮」(はいりょ)の場合は、
対象となる物事や人の事情をよく把握した上で、
良い結果となるように心遣いをすることを指しているのです。

簡単にいうと、心遣いを行き渡らせ良い結果になるように動くことを指しております。

意味解説辞典「配意」と「配慮」の違いは?わかりやすく解釈

こういう風に、並べられると
今まで配慮だと思ってやってきたことが
一部配意だったのではないかと思えてもくる。

だけど、今まで配慮する気持ちというのは
色んな人と出会ってきて自分は育ってきた。

だけど、その配慮に気付かない人もいる。
”配慮してますよー”って言うのは
それは配慮では無くなるような気がする。

その気持ちを、めちゃくちゃダイレクトに
代弁してくれた文章を見つけて、
めちゃくちゃ共感したので紹介させて頂く。

“配慮って数値化されることではないから人によっては気づかないんです。

「気付く」人と「気付かない」人がいるから、いつも同じ人に役回りがくるというか。そしてそこには悪意がなかったりするわけで。

だからそれを指摘することも難しい。



だとしても、気付く人が損をする仕組みは嫌ですよね。”

”「気付く人」に優しい生活があれば良いなと思います” 月のふね舎|pieni paperi より

”うわーこれだわ”って口に出して言ってしまった。
目に見えないものだからこそ難しい。

だけど、してもらいたいからやっているわけでもない。
けど、恩恵を受けられないのはちょっと。。。
っていうこの感じ。

配慮がない人と疎遠になっていくのは、
そういうのを感じ取ってしまっているのかも知れない。

逆に自分はそうやって離れていく人を作らないためにも
多少損をしても、配慮をして生きていきたい。

結局はそういう自分が好きだからかな。笑

ほなまた。

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