配意と配慮
配慮に対しての記事を書こうと思ったときに
配慮って感覚でしか捉えていなかったなと
思って調べたら、初めて見る漢字が
検索候補に出てきた。
“配慮と配意の違い”
配意....今まで生きてきて、
配意というものを見たことないが
少し気になった。
なので、今の人らしくググってみた。
こういう風に、並べられると
今まで配慮だと思ってやってきたことが
一部配意だったのではないかと思えてもくる。
だけど、今まで配慮する気持ちというのは
色んな人と出会ってきて自分は育ってきた。
だけど、その配慮に気付かない人もいる。
”配慮してますよー”って言うのは
それは配慮では無くなるような気がする。
その気持ちを、めちゃくちゃダイレクトに
代弁してくれた文章を見つけて、
めちゃくちゃ共感したので紹介させて頂く。
”うわーこれだわ”って口に出して言ってしまった。
目に見えないものだからこそ難しい。
だけど、してもらいたいからやっているわけでもない。
けど、恩恵を受けられないのはちょっと。。。
っていうこの感じ。
配慮がない人と疎遠になっていくのは、
そういうのを感じ取ってしまっているのかも知れない。
逆に自分はそうやって離れていく人を作らないためにも
多少損をしても、配慮をして生きていきたい。
結局はそういう自分が好きだからかな。笑
ほなまた。
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