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ポストモダン文学の入口②(アメリカ編)~カート・ヴォネガット「スローターハウス5」(改訂)

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(ややネタバレ)

1950~60年代のアメリカ文学には、それまで主流であったリアリズム重視の文学ではなく、また、ヘミングウェイらが拓いた「モダニズム」でもない一派が現れます。

小説本来の醍醐味である大胆な「虚構性」「物語性」を追究する新進の作家たちが登場したのです。

時代は冷戦のさなかで、ベトナム戦争による疲弊などによりアメリカ社会は閉塞感に包まれていました。

このような時代背景から生みだされた彼らの新しい「物語」たちは、決して明るいものではありませんでした。それはアメリカ特有のブラックなユーモアを帯びた「ほら話」やSF等というかたちに結実したのでした。

「心やさしきニヒリスト」と呼ばれるヴォネガットは、バースやホークス、ヘラー、ピンチョン、ケイジー、パーディー、バーセルミらとともに、「ブラックユーモア派」を代表するストーリーテラーの一人です。彼の作品でも、諦念と黒い笑いが漂う不思議な世界が描かれています。

彼の出世作「スローターハウス5」(1969)は、奇想天外で滑稽味あふれる独特なテイストの小説です。

「聞きたまえ。ビリー・ピルグリムは時のなかに解き放たれた」

ヴォネガット独特の語り口で始まるこの話の主人公ビリーは、自分の人生における過去から未来までのあらゆる時点を瞬間移動するタイムトラベラーです。

ただ、それは彼にとっては災難でしかありません。
いつ、どの時代へスリップするのか、彼自身には全く制御できないのです。

物語では「けいれん的時間旅行」と呼ばれるそれが唐突に起き、ピルグリムとともに読者は脈絡のないバッド・トリップに巻き込まれることになります。

第二次大戦時から未来の惑星へ、事業で成功を収めた日々から幼少時代へ、そして家族でただ一人生き残ってしまった飛行機事故の大惨事へ・・物語は彼の人生の様々な局面を目まぐるしく行き来しながら展開されます。

ドイツのドレスデンでは捕虜となり、味方であるはずの連合軍の無差別空爆を受けてしまいます。また、「トラルファマドール星人」に捕獲され、同様に連れてこられた一人のポルノ女優とともに、その星の動物園に裸で展示されます。

運命に振り回されるビリーの悲惨な体験を語りながら、作者は随所で“So it goes.”(そういうものだ)と諦めぎみにつぶやきます。
また、同様にため息のような「プーティウィ?」という鳥のさえずりが繰り返し挿入されます。

世界の不条理や理不尽に抵抗できないまま生き続けなければならない現代人を描いた、絶望的でありながらもどこか優しさを帯びたユニークな作品です。

戦後の文学や芸術においては、難解であったり意味がつかみにくい、いわゆる「前衛」が拡がりました。

その中にあって、アメリカやイギリスでは娯楽性に富んだ作品も多く生み出されました。

「エンターテインメント」を重視する伝統からくるものでしょうか。
観客や読者に「楽しんでもらいたい」という志向、
それは、シェイクスピアやスティーヴンソン、ショウらから継承されたものであるように、個人的に思います。

さらに米英の「ポストモダン小説」をより深く、という読者さまに「入口」としてのお勧めは、以下あたりでしょうか。

「ミス・ロンリーハーツ」~ナサニエル・ウエスト
「フローティング・オペラ」~ジョン・バース
「競売人49の叫び」~トマス・ピンチョン※
「時計仕掛けのオレンジ」~アンソニー・バージェス 

ピンチョンは、先にコンラッドの「闇の奥」などを読まれると、理解しやすくなるかも知れません。


カート ヴォネガット

カート・ヴォネガット(1922-2007) ~アメリカ・作家~
「プレイヤー・ピアノ」(1952)や「タイタンの妖女」(1959)などの作品でSF作家として出発。第2次世界大戦中にドイツ軍捕虜となった経験をもとにした「スローターハウス5」(1969)が世界的に人気を博し、ジョージ・ロイ・ヒル監督によって映画化もされた。淡々とした語り口と、辛辣ながら温かみのあるユーモアを身上とする。本邦では村上春樹に大きな影響を与えたとされる。

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