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愛のない庭~ジュール・ルナール「にんじん」(改訂)


“Journal” (1887–1910)

ジュール・ルナール(1864- 1910~フランス・小説家、詩人、劇作家)
小説「にんじん」(1894)が有名。簡素で日常的な言葉を使って、鋭い観察による様々な傑作を生み出した。「にんじん」は後にルナール自身によって戯曲家され、日本の戯曲界にも影響を与えた。他に「ぶどう畑のぶどう作り」(1894)「博物誌」(1896)等。

「にんじん」

ルナールによる有名な「にんじん」について、ざっくりとですが紹介しておきます。さまざまな解釈ができる作品かと思います。


「にんじん」は、彼自身の幼少体験をもとに書かれた中編小説です。
1894年の出版後、ルナール自らの手により戯曲化もされています。

母親からの激しい虐待に耐える少年の成長を描いたこの作品は、児童文学として有名です。

ただ、「愛がない」ということの苦しさが描かれた原作は、きわめてつらい内容です。


にんじんの母親は、三人兄弟の末っ子である彼に対してのみ、執拗な虐待を行います。

おねしょをした罰として、尿が入ったスープを彼に飲ませほるどの厳しさです。

なぜ母親はそこまで激しい仕打ちを実の子に対して行うのか?
その説明は直接的にはされていません。

・・・赤毛にそばかすという風貌。互いに愛が冷めてしまった夫に似た、ややシニカルな態度。不器用さから引き起こされる面倒・・・
生理的な嫌悪や日々のストレスからなのか、母の虐待は暴走を止めません。

にんじんは当然、母親に愛されたいと渇望しています。

父は優しい面もあるのですが、忙しくて家庭に無関心です。
兄弟たちも冷めています。
この家族の人間関係は極度に乾ききっています。

虐待の程度が度を超えているものの、この作品を読んでいると、母もまた「愛されていない」ことの苦しみに耐えているように思えてくるのです。

肉親間の愛憎にはデリケートなものがあります。
また、家族であれば簡単に逃れることができません。
ましてやこどもであるにんじんにとって、それは牢獄の中で暮らすような毎日です。

交流のあったジッドは、「ルナールの庭には水が足りない」と評しました。

ただ、「にんじん」には、全編を通して独特の乾いたユーモアが漂っています。それがこの作品の魅力であり、救いとなっているとも言えます。


この話のどこまでが事実にもとづいているのかは、定かではありません。
しかしやがてルナール家は、父が猟銃で自殺し、母は庭の井戸にて不審な死を遂げるという悲劇に至ってしまいました。

私は泳げるけれども
それはちょうど
他人の救助はやめておく程度だ

I swim just enough
to hold me to save others.

2024.3.19
Planet Earth

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