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決して手が届くことのない「美」~ウラジミール・ナボコフ 『夢に生きる人』(改訂)


…man, as a rule, views the prenatal abyss with more calm than the one he is heading for.   
『記憶よ、語れ』(1951)

ナボコフは、19世紀末に帝政ロシアで生まれました。
しかし、革命後の1919年にイギリスへ亡命、ベルリンやパリへの移住を経て1940にアメリカに帰化しました。

「ロリータ」(1955)であまりにも有名ですが、他の長編・短編・詩ともに多くの作品を残しています。
また、レールモントフの「現代の英雄」の英訳や「不思議の国のアリス」のロシア語訳など、翻訳の分野でも功績を残しています。

チョウの研究者としても知られ、4000もの標本を欧米の博物館に残しています。

小説は難解な作品が多いですが、「ナボコフの1ダース」(1958)という短編集が読み易く、その美しく精緻な世界を味わうことができます。

その中の「夢に生きる人」(1931)は、決して手が届くことがない「美」を追い求める主人公の姿が哀しく色鮮やかに描かれています。

ベルリンで蝶の標本を売る小さな店。
初老の店主ピルグラムは無類の蝶マニアであり、一流の研究家でもあります。

しかし、ぎりぎりに切り詰めた生活を送る彼は、「見なれてしまった昆虫しかいない」ベルリン近郊から生涯出たことがありません。

本や写真でしか知ることができない、珍しい蝶たちが舞う姿を一度だけでもこの目で見てみたい・・・
しかし、異国の美しいそれらは、はるか遠い世界のあこがれです。

ところがある日、古いコレクションの在庫が予期せぬ高値で売れ、諦めていた海外への採集旅行に行く機会が訪れます。

一生涯の願いがかなう・・・旅の準備に胸を躍らせるピルグラム。
夢にまで見た蝶たちにもうすぐ手が届く・・・
しかしその時、予期せぬ出来事が彼を襲います。        


私たちをのせた、ゆりかごは
果てのない深淵のはざまでゆれている

そして、私たちの一生とは
そこにまたたく
一瞬の光に過ぎない

生まれる前の「闇」と、死後の「闇」は
双子のようなものなのだろうか

それでも私たちは
今向かっている闇よりも
誕生前の闇の方が
安心して眺められるようだ

The cradle rocks above an abyss, and common sense tells us that our existence is but a brief crack of light between two eternities of darkness. Although the two are identical twins, man, as a rule, views the prenatal abyss with more calm than the one he is heading for.                                                    

 ― Vladimir Nabokov, Speak, Memory(1951)


ウラジミール・ナボコフ (1899-1977)~アメリカ・小説家、詩人~
ロシア生まれのアメリカ作家。ロシア革命後、亡命先のドイツ,フランスに  約 20年間住みロシア語で創作。渡米後は英語で作品を発表した。 主著は「記憶よ、語れ」(1951)、「ロリータ」(1955)、「青白い炎」(1962)。他に翻訳多数。



2024.3.29
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