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美容整形という禁忌 ~それは自己欺瞞~

昔から美容整形はある程度、
タブーとして扱われ、
美容整形をする事は
「親から貰った顔を捨てる行為」と
批難され親不孝とされた。

だが、最近では美容整形した人が
TVで活動し、容姿が醜い女性が
美容整形して美人に生まれ変わり、
それを本人と母親が泣いて喜ぶのを
感動物のドキュメンタリーとして
TVで放送されている。

むしろ、容姿が醜くて悩んでいる人が
美容整形する事は
勇気ある自己実現として
受け止められつつあるのだ。

私はその考えを否定する。
美容整形は悪だと思う。
美容整形に対し、自然に感じる忌避感、
タブー感を直視しなければならない。

まず、そもそも顔とは何か?
顔はただの偶然で形成された凹凸ではない。
その凹凸には意味がある。

人の顔は多くの知覚を刺激する、
知覚の密度が高い部位だ。
顔を見た時、性格の印象や
知性などの多くの事を感じるが、
腹を見た時にも同じ様に
多くの事を感じる訳ではない。

なぜ、人の顔は知覚を多く感じるのか?
それは会話や意思疎通する上で
人は顔を見るからで、
顔で多くの事を示す為だ。

顔は先天的な精神と肉体の情報を表す。
顔を見れば「優しそう」「明るそう」など
多くの印象を抱くだろうが、
それはその人の先天的に決まった、
精神の要素,気質である。

生物は先天的にある程度まで
精神と身体がどう発達するかが決まっていて、
人の顔面はその確率分布を示す。

明るい性格に成長する可能性が高いなら
明るい印象を抱く顔をしているのだ。
また、乳児の性格は3種類に分けられ、
その性格は成長後も変わらなく、
明るい,暗いや怒りっぽい,優しいなどの
根本的な部分は最初から
決まっていると言っても過言ではない。

正常に発達したなら、
人は顔通りの性格をしているし、
明るく社交的な性格な筈なのに、
対人関係のトラウマで
自閉的だとしても、
それは性格を抑え込んでいるだけで、
実際に性格が変わったとは言えない。

正常な発達は1パターンしかなく、
その発達で人は
顔が示した性格に行きつく。

そもそも、普通に生きてて、
性格が変化する様な事はなく、
性格は身体くらい固定された物で
普通に睡眠と食事を取っていれば
両親と大きく異なる身長にはならない様に、
普通に生きていれば、
性格を歪ませる様な大きな不幸に遭わなければ、
人は遺伝子通りの成長をする。

人は顔を見ればわかるのだ。
顔から得られるその人の印象が
ただの偶然で、
その人がその顔である事が偶然で、
人の顔と精神が
無関係だなんて事はありえない。

人は顔を見ればわかるのだ。
ある程度なら。
ある程度の範囲、抽象性でなら。

顔から判断できる抽象的な情報は
実際に話し、関わる事で具体に絞られる。
それだけであり、人の顔から得られる、
その人の精神の情報に抽象性はあれど、
大きな間違いがある事はない。

では、美容整形は何を意味するのか?
詐欺だ。

存在しない架空の人物を騙る行為だ。
それも美人で、人から良く思われる
精神をした人物であると周りに偽る行為だ。

面接では顔写真を使うし、
人の顔は社会においてとても重要な
判断材料,評価基準だ。
それを偽る事は大きな偽りだ。

美容整形の目的はそもそも何だろうか?
人から美人と見られたいという事だろうが、
それは美人の精神をしていないのに、
周りが、自分が美人の精神であると
間違えて欲しいという歪んだ願望であり、
個人的にただ美人になりたいとしても、
それは自分が美人の精神をしていないのに
美人の精神になった気になる、
自分が変わったと思い込む為なのだから、
やっぱり、歪んだ欲望だ。

美容整形した人は美人ではない。
美人であるか否かは
その人が何であるか、誰であるかを示す、
アイデンティティの1つであるが、
外面だけ美人の様になっても、
人の本質は精神なのだから、
美容整形した人は美人に見えるだけで、
美人なんかではない。

化粧をしようが、良い服を着ようが、
その人がその人である事は変わらない様に
美容整形しようが何しようが、
その人がその人である事に、
ブスがブスである事に変わりはない。

補足すると美人の精神は美しいとも
ブスの精神は醜いとも限らない。
美人の精神とは美人な精神とか
そういう意味ではないのだ。
性格が悪くても、
その人が美人なら、
その人の精神は美人の精神だ。

美容整形は実際には何も変わってないのに
自分は変わったと思い込む自己欺瞞であり、
他者に架空の優れた人物であると
騙す欺瞞でもある。
だから、美容整形は悪だ。

人の顔は重大なアイデンティティだが、
目の前の人物の顔が作り物で
仮面の様な物で、
存在しない人物の顔だと考えたら、
実に気味悪く、気持ち悪く、
マッドサイエンティストの技術で
生まれた存在といった印象を感じる。

美容整形した者は孤独だ。
誰もその人を見ない。
その人じゃなくて、架空の人物を見てる。
結婚しようが孤独だ。

その先、一生,素顔を
誰にも見せない程の孤独があるだろうか?
そして、自分でも自分がわからない。
鏡に映るのは他人。
自分が誰であるかが揺らぐ。

実際、美容整形した人は
精神的に不安定になって、
攻撃的になる人が多い。

自分は美人だと強く主張し、
自分の偽りの容姿に劣る
容姿をした人を強く否定する。
自分がいかに美容整形して
良かったかという事を
SNSにアピールし、
整形しない人を馬鹿にする。
美容整形した事が良かった事だと思いたいから。

また、美容整形は自己否定だ。
自分の顔は自分の精神を表すのだから、
その顔を否定して美容整形するのは
自分を否定する事に他ならない。

自分が嫌いで、自分が好きになれないまま、
自分をゴミだと値踏みして捨てて、
偽りの自分で生きていく。
そんなのが健全な訳ないし、
一般的な幸福だって得られる訳がない。

そして、そんな美容整形を
「勇気ある自己実現,自己表現」だとか言って、
大々的にTVで推奨し、
美容整形した人を褒め称え、
美容整形して変わってしまった娘を見て
喜ぶ狂気的な母親と狂気的な娘が
嬉し泣きする様子を感動ものとして
TVで放送するなどまさに狂っている。

美容整形は禁忌だ。
人肉食や生物倫理などと同列に禁忌だ。
顔を作り変えるなど
ゴリラの顔面を剝ぎ取って、
人間の顔面を付けてみるくらい悍ましい。

美容整形は個人の自由だが、
よく関わる人にそれを明かさないのは
騙している事に他ならないので、
美容整形した人はよく関わる人に
それを明かすべきだ。

街を歩くだけでも多くの人を騙してしまうが
それはまぁ仕方ない事だろう。

感情的に劣化し、単純な感情だけが激しく燃え、
人間的な、繊細な感情がなくなれば、
人は美容整形に禁忌を感じず、
気軽にする様になるだろう。

昔に比べて、美容整形への風当たりが弱くなり、
美容整形への心理的ハードルが低くなったのは
人々の精神,感情が醜く劣化しただけだろう。

社会が豊かになればなる程、
人は感情的になり悩み、狂ってしまう。

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