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終戦時の反応 庶民

終戦時、庶民や軍部はどう思ったのか?
当時、庶民の間では日記が盛んだったので
多くの庶民は終戦を玉音放送で
知った時の思いを日記に残している。

それを読めば、当時の国民が終戦を
どう思ってたのか、
そして、この国、あの戦争、天皇に
どういう思いを持っていたのかがわかる。

終戦に対する反応は主に3つで
「悔しい、戦って死にたかった」
「天皇陛下に申し訳ない」
「まさか、今、
終戦するとは思わなかった」だ。

また、徴兵された兵には
「ほっとした」と言う人も多くいて、
実際に戦っていない庶民の方が、
抗戦意識が強かったのだろう。

「悔しい」という思いは、
当時の日本人の愛国心、
自分が日本人であるという感覚が
強かった事を意味していて、
それに派生して「戦って死にたかった。
本土決戦に挑みたかった。
(そうなると思ってたのに)」
という考えも多い。
特攻隊や日本軍の決死の戦いや、
抵抗の事も考えると、
日本人はどうも、
戦いにおいて「死」を強く意識し、
「死にたくない」という私的な思いを
克服しようとしている。

これは、勝つ事よりも、
全力で戦う事、最善を尽くす事に、
重きを置いている事を示している。
精神論が重きに置かれてたのも、
そういう事だろう。

また、戦いだけではなく、責任をとる為や、
自分の意思を示す為に行われた切腹や
自害も多くあった。

そして、「悔しいが、天皇陛下の
御命令ならば仕方ない」という
思いもあったようで、
抗戦意識が強い当時の日本人の事を考えると、
「天皇の声」で「天皇の意思」が伝えられた、
終戦が伝えられたのは、
大きな意味を持っている。

ただ、単に政府がラジオで告知したら、
暴動が起きていた可能性が高い。
実際に、庶民の間でも、
起きそうになっていた。

終戦への反応で最も強い感情は
「悔しい」という感情だったようで
ある店内で終戦が知られされた時の反応は
「激しい嗚咽の声が震える肩の下から
漏れている。みな、死の如く沈黙している。
凄惨と言うべき数分間だった」と、
語られている。

他にもラジオに対して「このデマ野郎」と
泣きながら殴った人もいたり、
 原爆が落とされた広島や長崎では
特に「悔しさ」が強く、
広島にある戦傷者が収容されている
病院では、発狂したように、
「ふざけるな」と言った男の怒号が
溢れかえったらしい。

原爆に対する日本人の恨みは
当時、強かったらしく、
「平和論者であった者も、
戦争に飽ききっていた者も、被爆によって、
徹底的抗戦論者になった。」と語られている。

次に「天皇陛下に申し訳ない」
という思いだが、
これは天皇陛下への敬愛を表している。
この思いに派生して、
「国民の事を思って、終戦を決断したとの
内容を含む玉音放送に感涙した」
との思いがあり、
天皇陛下の聖断に対する庶民の感情は
「申し訳ない」と「感謝」の
2つの感情があったようだ。

次に「まさか、今、
終戦するとは思わなかった」
「信じられない」という思いがある。
当時の日本はマスメディア(+軍部)が
戦争を煽り、戦況を良い方に
捏造してたせいで、
「そこまで状況がひっ迫していない」
という考えと、「負けるならば、
本土決戦をして一億総玉砕をする」
という考えがあった為だろう。

天皇からの大事な知らせだという
玉音放送は「最後の一兵まで戦え」
という言葉だと期待していた国民も多く、
まさか、終戦の知らせだとは
思わなかったようだ。

最後にそれらの思いが
全て書いてある文を紹介する。
「終に新型爆弾に屈したのだ。
戦争に負けたのだ。
全力を出し切らずに負けたとは
国民として心外に耐えない。実に無念だ。
然しなんだかホッとした気持ちと、
未だ信じられない気持ちもした。
神風はどうなったのだと、
三千年の歴史に重大なる
汚点を残してしまった。
林の中の涼しい所で2,3人で、
今後、日本はどうなるのかと話し合った。
蝉が良く鳴いていた。」

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