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ショートショート『ガラスを割ったら人生が狂った話』

ガラスは割ったらダメなのよ。

そう教えられて私は育ってきた。

割れたガラスは二度と元には戻らない。

だから、窓も、花瓶も、大切にしないといけないの。

幼くお転婆だった私に、そう母は何度も言い聞かせた。

18の夏。ある日、バイト先の研究室で頼まれた仕事は、しかし、ガラスを割ることだった。

美しく輝くガラスを一枚一枚叩き割る。

ほら、簡単でしょ、と先輩が手本を示す。

虹色のガラスは乾いた音を響かせ、空中に散る。

言われるまま工具を手にして、ガラスと対峙したとき、私の鼓動は早かった。万引きをしろと命令され、商品に手をかけているときもきっと同じような気分になっただろう。

先輩の手本通り、ガラスはいとも簡単に割れた。

そして、私の感覚はいとも簡単に狂った。

もはや、ガラスに触れてもかつて感じていたような緊張感を感じることはない。ガラスを割っても、背徳感で胸が高鳴ることはない。

18年間、割ってはいけなかったガラスは突如割るべきものになってしまった。

あれから、50年の時が経った。

思えば、あの時あのバイトをしていなければ、私はまともに人生を歩めていたのだろう。そして、それなりに貯蓄をして、今頃は悠々自適な生活を送っていたのかもしれない。

しかし、あの18の夏、私のガラスに対する価値観は転倒してしまった。

あれ以降、私はガラスを見ると割りたいという衝動を自分でも抑えきれなくなってしまった。

きっと、禁止され抑圧されていたことで金銭を得るという体験による反動、高揚、中毒のようなものだったのだろう。

おかげで自宅のガラスは何度も割られ、修理され、割られを繰り返した。そしてついに私はガラスのある生活を送れなくなってしまった。

68歳になった今、私は人里離れた山奥にガラスのない粗末な小屋を建て、自給自足生活をしながら暮らしている。

人の住む町に近づくと、他人のガラスまで割ってしまうからである。

こんな性分になってしまっても、人の迷惑になることはしたくないと思う理性は残っているのだから不思議だ。

それにしても、一体誰がガラスに人生を操られることになると想像できただろう。

今はこうして、話の種にすることしかできやしない。

せめて割れんばかりの拍手をこの人生に贈ってくれないか。

ガラスだけにね。

<おわり>











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