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デタッチメントの中にある主体性

村上さんのデタッチメントの反対はコミットメントらしい。アタッチメントではなかったのか。でも、両方とも同じ姿勢を描いていると言える。社会や活動への主体性はコミットメントで、人間関係における主体性はアタッチメントだ。

主人公が受け身に見えると言われるけれど、そうじゃないと思う。ただ彼は現実の物事に無邪気に夢をもてないだけ。現実にしっくりとハマる歯車が持てないだけ。

夢を持つというのは、アンパンマンを見ながら「私もアンパンマンになりたい!」と思うことだ。でも、あなたがアンパンマンなら、誰がバイキンマンで誰がかばおくんになるの??誰がかびるんるんになるの?

夢っていつも自分勝手でしょ。周りが見えていない。それでいいし、それでこそ夢なのだけれど。

夢とか野心とか大望とか、それを追い求めるにはある種の無知と底抜けの自信が必要で、達成できれば良いけれど、到達出来なかったときの着地点を用意しておくのも必要で。
追い立てるだけ追い立てて、あとは勝手に頑張ってでは無責任だろう。

それなのに、夢が叶っちゃうこともある。環境と本人とタイミングと、いろんなものが揃ってスルスルと進んでいくことがある。

同時に、その後ろには別の道を見出したバイキンマンやかばおくん、かびるんるんがキラキラと主人公を張って生きている世界もあるのだ。

やはり、自分の足で歩くこと。

やりたいことをやってみるのはいいことだ。
やれるかもしれない。

やれなくても、いいと思う。
そういう気持ちに向き合うために、たくさんの芸術が友だちになってくれる。

そして夢なんか見なくても、持てなくてもいい。やらなくちゃいけないことを自分の気持ちいいやり方で取り組んでいく、みたいな事でも誰かの何かの役に立つことがあるから。



春の風が優しく頬を撫でてくれる。


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